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act.8月虹ワルツ<341>
「もったいない。絶対に素敵な作品に仕上がるのに」
自分のブランドの写真を任せるぐらい、馨のカメラマンとしての腕を認めているからこその発言なのだろう。だが物としてみなされているようで気分は良くない。それにリエが何気なく続けた言葉が椿の心を抉った。
「馨さんの親戚だけあって顔立ちもよく似てるし、きっとアイちゃんと兄弟みたいな写真になると思ったのに」
前回リエと顔を合わせた時、自ら馨の息子とは名乗らなかった。馨も椿を自分の親類とだけ紹介しているらしい。ただそれだけなら耐えられたが、葵と“兄弟みたい”と表現されるのは施設での出来事を思い起こさせた。
椿がどれほど主張しても、誰も葵の兄として認めてくれなかった。それは今も変わらない。葵自身にすら認知されていない時点で、椿がどうあがいても滑稽なだけなのだろうか。
椿は溢れ出しそうな感情を飲み込むと、ここにやってきた目的を口にした。
リエと馨の関係。ビジネスパートナーという感が強いが、馨が比較的心を許しているような素振りを見せるのも、リエがごく自然に馨の肩や腕に触れる仕草も気になっていた。昔の馨は女性関係も随分派手だと噂されていたから、特別な関係にあったのではと疑いたくもなる。
馨が誰とどうなろうと関係ない。そう思いたいが、一人で死んでいった母があまりに不憫な気がしてならなかったのだ。
「馨との付き合い、長いの?」
「馨さんと?そうね、馨さんが結婚する前からだから、それなりに長い付き合いね。元々馨さんの奥さんが当時駆け出しのうちのブランドを気に入ってくれて。それがご縁で知り合ったの」
リエが馨の妻として認識しているのは椿の母ではなく、女優だったエレナ。それもまた椿の神経を逆撫でた。自ら尋ねたことに回答してもらっただけだというのに、勝手な感情だと自分でも思う。
「私がアイちゃんの衣装を手掛けるのはエレナさんがいい顔をしなくてね。だからしばらくは馨さんとも疎遠になってたんだけど」
馨の帰国をきっかけに再び連絡を取るようになったのだという。彼女はまた馨と仕事が出来て嬉しいと素直に口にした。そこには椿が疑うような邪な感情は感じ取れなかった。
「椿さんは馨さんと随分近しいご親戚なの?たとえば従兄弟とか」
こうして尋ね返されるのは会話として不自然な流れではないのだと思う。リエの疑問に“息子”だと答えたら一体どんな反応をするのか。好奇心は湧くものの、実行する気にはならなかった。
「遠い親戚だよ。言葉では説明しづらいぐらい遠いね」
顔が似ている自覚はある。だからリエも椿の回答に不思議そうに首を傾げてみせたのだろう。でも彼女は家庭の問題に不躾に踏み込んでくるような真似はしなかった。
「撮影のことは馨さんとよく話し合ってみて」
ドアマンの誘導で二人組の客が新たに入店したのをきっかけに、リエは会話を切り上げた。そして彼女はもう一度店の奥へと椿を誘ってきた。今度はサイズを測る目的でなく、椿に渡したいものがあるのだという。使いを頼まれるのは癪だったが、断る隙もなく話が進んでいく。
店の奥にはフィッテングルームと応接室を兼ねたようなスペースが設けられていた。革張りの椅子に腰を下ろすと、長居するつもりなどないというのにスタッフの手でコーヒーが運ばれてくる。
一度別室に引っ込んだリエは、ハンガーにぶら下がった衣装をいくつか持ってきた。そのどれもがあの日馨に渡したような類のワンピースだ。馨のリクエストを受け、手直ししたものが完成したらしい。
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