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act.8月虹ワルツ<342>

「うちのブランドでは作らないけど、個人的にはこういう可愛い服も大好きなの。自分には似合わないから尚更、憧れみたいなものがあってね」 リエは聞いてもいないのにそんな話を口にしながら、ワンピースに掛かったカバーを一つずつ丁寧に外していく。 確かにこの店に置かれている服はどれもモノトーンで、デザインも洗練されている。一方、馨が葵に着せたがるのはフリルやレースが使われた、愛らしい印象を与える服ばかり。ショートカットで長身、キリリとした顔立ちのリエに合うのは間違いなく前者の服装だ。 「だからつい気合いが入っちゃって。馨さん、気に入ってくれるといいけど」 ラックに掛けられた水色やピンクの布は彼女にとって我が子のような存在なのかもしれない。愛おしげな視線には、やはり何の悪意も感じられない。でも椿は尋ねずにはいられなかった。 「馨がどう思うかじゃなくてさ、高校生の男が喜んでその服着るかどうか、考えたことある?」 リエも馨と同様に、当たり前のように葵に衣装を着せて撮影する話を進めようとしているが、葵の意思などまるで気にしていないことに違和感を覚えた。いくら見た目が可愛らしいままだからといって、一般的な育ち方をしていれば抵抗を感じるのが普通だ。 「うちの子だってレディースの服を着せることはあるけどプロとしてきちんとこなすわ。好きな服を着られるのがモデルの仕事じゃないんだから」 彼女の息子との接し方を批判したようにも捉えられたのだろう。リエは初めて気分を害した様子を露わにしてみせた。柔らかかった物腰に険しさが混ざる。本来の彼女の気質はこちらなのだと思う。 「アンタの息子がモデルやってるのだって自分の意思じゃないだろ。それにそもそも葵は現時点でなんにも知らないよ。勝手に服作られて、撮影の話が進んでるなんてさ。まぁ、こんなことアンタに言っても仕方ないけど」 「……椿さんは撮影に反対なの?」 「反対も何も。あれを芸術だって言ってもてはやしてる人たちの気が知れないね」 真っ向から否定する言葉を投げつければ、いよいよリエの顔が歪む。でも彼女を責めたところで何かが解決するわけではない。馨に当たることの出来ない代わりに、共犯になろうとしている彼女で憂さ晴らしをしたかっただけだ。 「じゃ、これは預かっておくから」 ハンガーに掛かった服を一方的に奪い取り、椿は店を後にした。 リエはおそらく昔の作品からインスピレーションを受けたのだろう。車に積んだ衣装を改めて眺めると、どれも既視感を覚えるようなデザインだった。 もしも馨に誘われたら、葵は“パパのお人形”に成り下がるだろうか。 リエには否定するようなことを言ったものの、馨の乗る車を必死に追いかける葵の姿を目の当たりにした椿には正直なところ有り得る話だと思えてしまう。おもちゃにされ、捨てられたにも関わらずなぜ恋しがるのか、椿にはさっぱり理解出来ない。 また壊されたいのだろうか。 その結果声も出せず、食事も取れず、自分の力でベッドから起き上がることすらままならない状態の葵が容易に想像出来る。椿が出会った頃の葵の姿だからだ。 椿が絵本を読み聞かせ、名前を呼び続けて少しずつ反応を見せるようになってきた矢先に、葵は西名家に奪われた。ずっと椿の傍にいれば、馨に惑わされるような隙も与えなかったのに。 「馬鹿だよな、ホント」 静かな車内に嘲笑混じりの己の声が響く。でも本当に愚かなのは葵ではなく、幼い頃の思い出にしがみつくことしか出来ない自分なのかもしれない。 「ホント、馬鹿みてぇ」 ハンドルに凭れた椿はもう一度やりきれない気持ちを吐き出した。

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