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act.8月虹ワルツ<347>

「律のほうは仲良くやってるのか?」 臣の話は一段落、と言った様子で忍は律へと質問を投げ返した。誰と、と思ったのは葵だけではなく、律は少し戸惑ったように茶色の目を薄めたが、すぐに理解できたようだ。 「俺?あぁ兄弟と?兄さんは相変わらずだけど、下とは普通に。ちょっと歳離れてるから、こんな風に話せたりはしないけど」 「え、他にご兄弟、いらっしゃるんですか?」 「あれ、葵くん知らなかった?うちは四人兄弟だよ」 てっきり櫻と律の二人兄弟かと思っていたから、完全な初耳だった。櫻自身に兄弟の話を聞くのはタブーであるし、今日この会場でも櫻と律の話ばかりが溢れているのだから葵がそう勘違いしても無理はない。故意ではないのだろうが、忍でさえ話してくれなかった。 「今年中学に上がった妹の奏と、まだ小三の弟、唱」 「カナデちゃんと、ショウくん」 「うん、漢字はね……」 葵が名を繰り返した意味をすぐに悟った律は、胸元からペンを取り出しテーブルにあった紙ナプキンに兄弟の名前を書いてくれた。 櫻、律、奏、唱。 四つ並んだ名前を見て、葵は違和感を覚えた。 律も奏も唱も、月島家の子供たちらしく音楽に関係する漢字を得ている。けれど櫻だけは花の名前。浮いた印象は否めない。 でもそんな素直な感想を口にすることは出来ず、葵は律からペンを借りて櫻の下に自分の名前を足した。律への紹介という体ではあったが、花の名がついた名前がもう一つ並べられたら櫻が寂しくないような気がしたのだ。 「噂をすれば……あれ、末っ子」 葵から返されたペンをポケットに仕舞った律は、指で一点を示した。 その先を目で追えば、確かに大人たちの中で小さな子供が一人歩き回っている。大人用とは違い、ハーフパンツタイプのタキシードを着ているその子に見覚えがあった。 スタッフの手によってグランドピアノの椅子の高さを調整したり、見慣れない台のようなものがペダルに取り付けられたりするという入念な準備の後、舞台に登場してきた子だ。 ぎこちない足取りと真っ青な顔から相当に緊張していることが窺えて、こちらまでハラハラさせられた。でも数度にわたる深呼吸のあと、鍵盤に置かれた小さな手が紡いだ音は軽やかだった。 月島家の子供だから、というより、櫻の弟だからと言ったほうが、葵にはその素晴らしい演奏の理由に納得がいってしまう。 律の演奏の時とは違って最初から最後までしっかりと聴いていたから、感想を言いたいと葵は思ったのだが、唱の様子がおかしい。 楽器のケースのようなものを胸に抱いて辺りをきょろきょろと見回している唱は、時折大きく肩を震わせている。周りの大人たちは特に気にも留めていないようだが、どうやら泣いているらしい。 「行ってあげなくていいんですか?迷子になってるんじゃ」 兄である律が傍に居る手前、自分がでしゃばるわけにはいかず、葵は遠慮がちに尋ねてみる。 「大丈夫。あれは迷子じゃなくて、誰かに構ってほしいだけ。いつものことだから皆無視してるの」 律はあっさりと答えた。唱を助けてやる気はないらしい。でも唱を苛めたいわけではなく、甘えを見透かしての厳しさだということは分かる。兄がそう言うのだから、と葵も無視を決めこもうとしたが、やはり難しい。

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