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act.8月虹ワルツ<353>
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頼んだわけでもないのに、カーオーディオからは爽が好きだと言ったバンドの曲が流れている。その気遣いを素直に有り難がれるほど、大人にはなりきれなかった。
車を運転しているのは今日初めて出会った江波という男性。これからマネージャーになるのだと挨拶をされても、爽は全く展開についていけず愛想笑いすら浮かべられなかった。それは所属することが勝手に決まった事務所の社長やスタッフへの挨拶を終えても変わらない。
物心つく前から母親の元でモデルとして活動していた。一般的な家族の形とは違うけれど、母親がデザインした服を身に纏って人前に立つことは自分たち親子にとってはコミュニケーションの一種なのだと思う。
でもまともな説明もなく、爽にとっては何の縁もない事務所に所属させられれば、もう用済みだと手放されたような感覚に陥ってしまう。
自分のブランドにとってメリットのあることしか選ばないリエのことだから、今回のこともきっとそうした考えの元、進んだ話なのだと頭では理解出来ていても心が追いつかなかった。
隣に座る聖は個人での仕事を受けることに前向きでいるせいか、爽のような感傷には浸らずにあっけらかんとしている。江波とも時折雑談を楽しんでいた。どうやら昨日爽よりも先に顔合わせを済ませただけでなく、一緒にカフェに出掛けたらしい。そこで多少なりとも打ち解けたのだろう。
その事実もまた、爽の疎外感を煽った。
「あの校門前で大丈夫?」
江波の声で窓の外を見ると、いつのまにか学園近くの見慣れた風景になっていた。ずっと居心地の悪さに苛まれていた爽にとっては、ようやくこの時間が終わるのだと安堵する瞬間だったが、空気の読めない兄は寮前のロータリーまで、なんて図々しいことを言ってのけた。
我儘を言われても江波は気を悪くするどころか、“了解”と軽やかに笑う。悪い人ではないのだと思う。まだ短い時間しか共に過ごしていないが、そのぐらいは理解できる。だからこそ尚更、子供っぽい態度しか取れない自分に嫌気が差した。
「立派な寮だね。僕の家よりも居心地が良さそう」
「俺らの部屋、実質2LDKだしね。めちゃくちゃ広いってわけでもないけど快適だよ」
寮の前に着いたというのに、江波と聖は建物を眺めながら会話を膨らませ始めた。一刻も早く落ち着ける場所に行きたいというのに。
「……じゃあ」
「あ、うん、またね爽くん」
会話に加わることなく後部座席の扉を開けば、慌てたように江波が笑顔を向けてきた。それに気持ち程度の会釈を返して立ち去ると、背後で二人が目配せするのが分かる。いつも聖を兄のくせに子供っぽいなんて諌めていたのは爽のはずだった。逆の立場に立たされるのは気分が悪い。
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