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act.8月虹ワルツ<365>

まだ外から響いてくる雨音は激しいまま。雨宿りは続行せざるを得ないようだが、この温かなコートがあれば耐えられそうな気がした。しかし葵が長丁場を覚悟してすぐに乱暴な音を立てて教会の扉が開かれる。 何事かとそちらを見やれば、心細さを一気に振り払ってくれる見知った顔が現れた。 「あーちゃん!よかった、やっと見つけた」 頬を上気させて飛び込んできたのは葵の大好きな兄、冬耶だ。葵が返事をする前に彼は物凄いスピードで駆け寄って抱きしめてくれる。 「雨降り始めたのになかなか帰ってこないから心配したよ。こんなに冷えて。何してたの?」 「何って、雨宿り。帰る途中で降られちゃって。小降りになるまで待ってたんだ」 タオルハンカチで髪を拭ってもらいながら、葵は自分の状況を説明した。わざわざ聞かれることではないと思ったのだが、冬耶はそれを聞いて不思議そうな顔をする。 「表に傘あったよ?あれ、あーちゃんがどっかの部活から借りてきたんじゃないの?」 「え、知らない。僕が来たときは傘なんて無かったけど」 雨を避けるために慌てて教会に入ったが、入口に傘があればいくら葵でも気付かないわけがない。誰のものか分からない傘があったらここでのんびりせずに、少しだけ借りることにしてとっくに生徒会室に戻っていた。 「ていうか、このコート何?これは借りたの?」 ひとまず葵の髪を拭き終えた冬耶はやっと初めて見るダッフルコートに目を付けた。葵はそこである仮説を思いつく。 「あ、もしかしたら傘も置いて行ってくれたのかも」 外に置いておくなんて分かりにくい親切はきっと彼に違いないと思える。葵が眠っている間に教会にやってきた人がその人以外居るとも考えられない。 「傘もって。じゃあ誰のコートか分からないのか?」 「うん、あのね……」 いまいち話が呑み込めていない冬耶に葵が全ての事情を説明すれば、まず濡れたままで眠ったことについてひどく呆れられ、叱られてしまった。 でもコートと傘の持ち主は同一人物だという葵の予想には賛同してくれた。それに防寒具も雨を避ける手段もなく立ち去ったその人のことを心配だとも口にする。 「お礼言わなきゃな。生徒会で呼びかけて持ち主探してみようか」 教会の外にそっと立てかけてあった傘にも当たり前のように名前など書かれてはおらず、生徒会室への帰り道で冬耶はそう提案してくれた。 もちろんそうしてほしいとお願いしたけれど、名乗り出てはもらえない気がしてならない。 おそらく礼を言われるつもりも傘やコートを返してもらう気も、微塵もなかったから葵を起こすことなく出て行ったのだ。わざわざ後日取りに来るような人ではないだろう。 その予想通り、すぐに冬耶が手配してくれた呼びかけには数日経っても誰一人応える者は現れなかった。 だから葵は案の定引いた風邪を治して登校を再開してからは、極力教会の傍を通るように心がけた。あの雨の中やってきた位だから、日常的に教会に通っている人物だろうと想像できたからだ。 しかし次の日から冬休みが始まってしまうという終業式の日まで、コートと傘の持ち主に関する情報を得ることもなく、まして教会で偶然出会うことも一度もなかった。

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