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act.8月虹ワルツ<368>

「忍が病気かもって思ったら寝付けなくてね」 「病気?何の話だ?」 嫌味に対し、寝惚けているのかと言いたげな視線を返される。あくまでいつも通りというスタンスを貫くつもりなのだろうか。 「最近誰とも遊んでないみたいだけど、どういう風の吹き回し?」 「迷惑は掛けていないだろう。感謝はされても尋問される謂れはないはずだが」 確かに忍の言うことも一理ある。けれど、あっさり納得するにはあまりにも気味が悪いのだ。 「これが一時的なものなのかどうかぐらい聞く権利はあると思うけど?」 「……なるほど。それはそうかもしれない」 櫻が言い返すと、忍は眼鏡のフレームに指を当てて考える素振りを見せた。櫻の意見を受け入れはしたが、あくまでこの会話の主導権を握っているのは忍だという態度がやたらと癇に障る。 彼はいつもこうだ。世界中の誰もが自分に平伏すのが当然とでも思い込んでいそうである。櫻は周囲との距離を離すためにあえてそうした振る舞いを見せているが、忍は自覚がない分、タチが悪いと感じる。 「それでいうと、今後自室に誰かを呼ぶことはないだろう。少なくともお前と同室のうちはな」 やけに引っかかる物言いだった。まるでもっと詳しく聞いて欲しいと言わんばかりに思えるが、この婉曲な言い回しも無自覚なのだろう。 「飽きたの?それとも若いのにヤリまくるから、もう一生分の性欲使い果たした?」 「欲ならある。むしろ倍増した気がするよ」 「真顔で宣言しなくていいよ」 黙っていれば知的でストイックに見える耽美な顔でこの友人は酷くアホらしいことを教えてくれる。毎晩複数を相手にしても飽き足らない姿を知っている櫻には今までの倍だなんて相当恐ろしく感じられる。もはや病気の域ではないだろうか。 「じゃあまさか本命でも出来た?で、一人に絞ったとか?」 櫻は自分で言っておきながら、あの忍にそんなことが起こり得る訳がない、と笑ってしまった。 愛なんてなくても快楽は得られる、むしろ邪魔な感情ぐらいに思っている男だ。そう簡単に愛に目覚めて改心出来るわけはない。そういう人間性を持った忍だからこそ、ここまで親しい関係を築き上げられたのだ。 しかし、遊びが祟って本当に病気になったに違いないという予想に反して、当の本人は櫻の軽口におろおろしている。むやみに眼鏡や髪に触れるなんていう、いつもの彼にはあるまじきみっともない姿を晒してさえいた。 「え、図星なの?嘘でしょ」 「いや、その……そうだ。好きな奴が出来た」 仏頂面のままで照れる、なんて器用な表情を浮かべた忍の告白があまりにも衝撃的で、動揺を取り繕うことも出来なかった。 「自分でも驚いている。だが、少しでも誠実にあいつと向き合うことに決めた。精一杯愛してみるよ」 相手の事を思い浮かべているからだろうか。忍がはにかんだような笑顔を見せるのを、櫻は初めて見た。その表情は、これが彼なりのジョークなどではないことを信じさせるには十分すぎるほど効果があった。

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