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act.8月虹ワルツ<376>

* * * * * * その日は終業式のあと、年内最後の生徒会活動が行われる予定だった。生徒会室に向かう道すがら、葵はすっかり日課となった教会への散歩を諦め半分で行っていた。 あの日の雨模様とは対照的に、今日は日差しがぽかぽかと暖かい。コートやマフラーを身に着けていると、汗ばみそうなほど。 だが病み上がりの葵を皆心配して、それらを脱ぐことは許してもらっていない。気持ちはありがたいが、正直暑くてたまらない。まだ微熱があるのだから余計だ。 せめてマフラーだけでも、と葵は教会までの道すがらでチェック柄のそれを外して通学鞄に押し込んだ。今は一人だから誰にも見咎められずに済む。 式典だけで授業もないというのに、葵の鞄が張っているのはその中にあの日借りたコートが入っているからだ。 いつ出会ってもいいように、クリーニングして綺麗に袋詰めしたコートを持ち歩くのも葵の日課になっていた。もちろん、この天気でも教会の入り口に残されていた傘も忘れていない。 ついでに遥お手製のクッキーも可愛くラッピングしてカバンに入っていた。遥は毎日新しく作り変えてくれるから、ここのところ葵のおやつは渡せなかったクッキー続きである。 冬休みに突入してしまう前の今日なんとか渡せれば、と願いながら教会へと近づいていくと、微かな音が聞こえてきた。その音は歩みを進めるたびに大きくなっていく。 葵は最初それが何の音かも、何の曲かも分からなかったが、教会の目の前に来てようやく気が付いた。あの日夢の中で聴いたメロディに間違いない。 ずっと探していた人が今この中にいるのだと思うと途端に緊張してしまい、葵は扉の前で数度深呼吸を繰り返した。そして意を決して、でも演奏の邪魔をしないように極力静かに扉を開いた。 扉の中へとそっと体を滑り込ませれば、そこには葵が夢で見たものと変わりない光景が広がっていた。 ステンドグラスから差し込む彩り鮮やかな光を浴びながらオルガンを弾くマリア様。奏者は夢と違ってマリア様ではなく現実の人間であるが、あの像と並んでも遜色ないほど美しい人だった。 艶やかな亜麻色の髪に、日本人離れした彫りの深い顔立ち。長い睫毛が滑らかな曲線を描く頬に色とりどりの影を落として、その様は絵になりそうなほど。 肌も、生まれつき極端に色素の薄い葵と並んでもそう変わらないほど白い。 葵は彼の演奏が終わるまで声を掛けるのをやめ、一番後ろのベンチに静かに腰を下ろした。 ピアノよりもオルガンの音色は柔らかいと感じられる。小さな教会中にぼんやりと音が反響するのも、まるで誰かが優しい歌声を重ねているようだ。 ただ、温かく美しい音楽を奏でている彼の表情は寂しげだった。俯きがちだからはっきりと窺えないが、それでも葵は遠目から見ても彼が物悲しい雰囲気を醸し出しているように思える。 何か辛いことがあったのだろうか。 そう思った矢先、すっかり気を抜いていた葵は嫌な兆候に慌てて口元を押さえた。しかしどうしても間に合わない。

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