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act.8月虹ワルツ<387>

「自分で触ったことないって聞いて驚いたよ。手出してんのは察しがついてたけど、せいぜいお互いの触って抜き合ってるぐらいだと思ったからさ。まさか葵ちゃんに何にも教えないまんまイタズラしてるとはね」 ストレートに表現されて、ますますどんな顔をしていいか分からなくなる。これが車中でなかったら、逃げ出していたかもしれない。遥はきっと京介の逃げ場をなくすためにもこの場を選んだのだろう。 「生理現象の処理ぐらいなら冬耶に言い訳も立つし目瞑ってやろうと思ってたけど、さすがにな。手で触ってやるのはまだセーフだとしても、口はダメだろ。このマセガキ」 話しているうちにまた怒りが湧いてきたのか、遥は再びタイミングを見計らって京介を殴りつけてくる。言い返す言葉もない。さっき殴りつけてきた所と同じ箇所に拳をぶつけられても、甘んじて受け入れるしかなかった。 「兄貴も知ってんの」 「知ってたら今京介は無事じゃないと思うけど」 ということは、黙ってくれているらしい。それを知って勝手ながら安堵してしまう。葵を弟として何よりも純粋に愛してきた兄が京介の裏切りを知った時、きっと怒りよりもまず深く悲しむことが予想出来るからだ。 「最低限のことは葵ちゃんに教えたけど、あれで理解出来たとは思えない。だから冬耶からも性教育してやれとは言っておいた」 「……葵に触ったのか?」 「俺のこと責められる立場じゃないだろ。葵ちゃんは誰のものでもないんだから」 いや、自分のものだ。そう言い切れたらどんなにいいだろう。正論で諭され、京介はただ舌打ちで返すことしか出来なかった。 「言っただろ、俺は葵ちゃんに触ってないって。オナニーのやり方教えてやっただけ。直接触らずにな」 京介が教えていると思ったから今まで口を挟まずにいたのに。そんな言葉まで付け加えられた。兄だけでなく、遥の信頼も裏切った。そのことを彼は一番に咎めたいのかもしれない。 「で、いつから?俺の予想だと六年の夏ぐらいじゃない?その頃から京介、俺らが葵ちゃんと寝るのに嫌な顔するようになったろ」 「……それ答える意味ってなんかあんの」 もう十分に秘密を暴かれた。始まりの時期を特定したところで何になるのだろう。 京介の疑問に対し、遥は“罪の重さが変わる”と言ってのけた。彼らを騙していた時期が長ければ長いほど、罪深いらしい。それはもっともな意見に思えたが、そう言われて素直に告白する奴はどこにもいないと思う。 実際、葵の体に触れたのはもう少し前のことだけれど、遥にはそのまま六年の夏と思い込んでいてもらおう。でも彼相手には無駄な抵抗だったようだ。 「なるほど、もっと前からか。ほんとマセガキだな」 運転をしながら横をチラリと覗き見ただけで、京介の沈黙の訳を暴いてみせた。本当にこの人は侮れない。 「どうして同じ家で暮らしてた冬耶にバレてないか、ちゃんと考えたことある?お前の誤魔化し方が上手かったわけじゃない。冬耶が“有り得ない”って思い込んでるからだよ。誰よりも信頼してる弟が葵ちゃんに手を出すわけがないって」 遥は京介にとっては何より耳が痛くなる言葉を淡々とぶつけてくる。

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