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act.8月虹ワルツ<389>

「聞いた限りじゃ西名って名前のつく相手には無条件で噛みつきそうだからなぁ。良い結果にならない気がするけど。京介、すぐ怒るし」 短気を詰る口調は茶化すようなものだったが、京介を伴う気がないことは明らかだった。遥の言いたいことが理解できないわけではない。けれど、子供扱いされているような気分にさせられて簡単に納得出来る話ではなかった。 「それに、京介には学園の中のことに気を配ってほしいから」 「……若葉のことも兄貴が自分でどうにかするって言ってたけど?」 手を出すなとはっきり言われたのだ。若葉が明らかに葵を狙い始めたというのに、こちらから何のアクションも出来ないことが歯痒くて堪らない。 「九夜と対峙してほしいわけじゃない。葵ちゃんから目離さないでほしいんだよ。授業サボったり、夜中にバイトなんかしないでさ」 「だったらクラスも部屋も同じにしときゃいいだろ」 遥の言葉に、今まで黙っていた不満が溢れ出てしまう。 葵が登校を始めてから、毎年同じクラスになっていた。葵はただの偶然だと思い込んでいるが、そんなわけはない。葵が登校しやすいよう、大人の力が働いていることにはすぐに気が付いた。 卒業まできっとそれが続く。そう思い込んでいたのに、今年は初めてクラスが分かれた。こんな工作をするのは葵に甘すぎる冬耶ではなく、スパルタな遥のほうに決まっている。 このタイミングで部屋を移動させる案だってそうだ。聞けば移動先は元々遥が使っていた部屋だという。首謀者が誰かは簡単に突き止められる。 でも京介が睨みつけたところで、遥はいつもと変わらぬ表情で前を向いて運転を続けるだけ。 「どっちが先か考えろよ。七瀬に預けて授業サボったのは誰だ?葵ちゃん一人残して夜中に部屋を抜けたのは?俺はやめろって何度も忠告したよな?京介を傍に置いても結局葵ちゃんが一人になるんなら、意味ないって判断されても仕方ないだろ」 それなら七瀬や都古だけに任せたほうがマシだ。そう言い切られて何も言い返せなかった。京介と物理的な距離を離すことで葵をもう一段階成長させる目的もあったとは言われたが、気休めになどならない言葉だった。 「……降りる」 「ほら、すぐ怒る」 これ以上会話を続けていても、みっともない姿を晒すだけだ。もう十分手遅れではあるけれど、離脱を願い出れば遥は横目で笑いかけてくる。京介を更に煽るような口調ではなく、子供の我儘を宥めるような、そんなニュアンスだった。 それまで一定のスピードで街中を走っていた車はゆっくりと速度を落とし、路肩に停まる。散々京介を詰ったくせにあっさりと引くところも憎らしい。 「適当に流してたからここどこか分かってないけど、大丈夫?」 「平気、ガキじゃないんで」 シートベルトを外す京介に、遥は引き止めることはせずとも気遣いを見せてくるが、その余裕が今の京介には苦しいだけだ。 「フランス行った遥さんには責められたくねぇよ」 助手席を降りる際に、どうしても何か言わずにはいられなくなってそうとだけ残すと、遥は少し意外そうな目を向けてきた。 「置いていくか、攫うかの二択しかなかったんだからしょうがないだろ。せっかく勉強頑張ってる葵ちゃんに高校中退させるわけにはいかないし」 極端なことを言ってはぐらかしているのか、それとも本気なのかが分からないのがこの人の恐ろしいところだ。

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