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act.8月虹ワルツ<392>

諦めさせるためとはいえ、櫻が罰を受けるのは葵の責任でもあると遠回しにでも言ってしまったようなものだ。人工的な黒髪と眼鏡に隠されて、覗きこまなければ忍から葵の表情ははっきり窺えない。でも空気で分かる。ひどく悲しませたに違いない。 いつも忍は後になって気付く。繊細な葵に掛けるには、自分の言葉があまりにストレートで厳しいものだということを。 葵は忍にとって初めての特別な存在。だから優しく話し掛けようと努めてはいるのだが、体に染みついてしまった物言いはなかなか変えられない。 「葵。いい子だから、今日はもう帰ろう。な?櫻とはいつでも会えるんだから」 忍は少し背を屈めて、眼鏡の奥で潤む蜂蜜色の瞳を見つめる。本当なら抱きしめたいところだが、周りにはスタッフが数人うろついているし、いつ誰が現れるかも分からない。 素直に頷いた葵を褒めるように頭を撫でてやる。人工的な黒髪越しでは葵を慰めた気にはなれないが、本人は微笑んでくれたから忍もホッと息をつく。 噴水を中心にしたロータリーから門扉までは少し距離がある。車道の脇にある煉瓦敷きの歩道にベンチがあるのを見つけて、忍は葵をそこに導き、並んで腰かける。 「相良さんが迎えにくるまでここで待とうか」 晩餐会の会場に向かう出入り口はこことはちょうど真反対にある。そのせいか警備の人数すらまばらだ。人目につかないこの場所なら時間を潰すのに適しているように思えた。 会場にいるあいだ、葵はずっと携帯の電源を落としていた。数時間ぶりに電源をオンにすると、いくつかメッセージが届いていることに気が付いたようだ。共通の知人ばかりのせいか、葵はその一つ一つの内容を教えてくれる。 「聖くんと爽くん、今日は小太郎くんと一緒にお昼ごはん食べたらしいです」 ほら、と葵は三人が写った写真まで見せてきた。生意気な双子の交友関係にさして興味はないが、葵が嬉しそうにするなら相槌ぐらいは打ってやる。 「随分親しくなったんだな」 「オリエンでトランプとか枕投げもして遊んだって言ってました。オリエンが終わってもこうして仲良くしてくれて、小太郎くんに声を掛けて本当によかったです」 世話を焼いた身としては、彼らが楽しく過ごせたことに安堵させられたのだろう。普段幼い印象の強い葵だが、双子の話をする時は少し大人びた顔をすることに気が付いた。こんな表情が見られるなら、たまには彼の可愛がる後輩の話に耳を傾けてやってもいいのかもしれない。 「お昼ごはん食べたって言ってるんですけど、本当だと思います?」 「さぁ、どうだろうな」 今度は双子ではなく、都古の話題だ。葵が見せてくれた画面から察するに、どうやら魚を咥えている黒猫のスタンプが食事の報告代わりらしいのだが、彼と親しくない忍がその真意を読めるはずもない。 忍の困惑をよそに、葵は次のメッセージを読み上げてくる。 「紫陽花見に行こうって。今年はいつ頃咲くでしょうね」 「……それは俺に知られたくはない話に思えるが?」 送り主は京介。 付き合いが長いせいか、それとも性格ゆえか、彼は真っ直ぐにアプローチすることを苦手にしているように思う。会いたいなんてメッセージなど言わずもがな。彼なりに随分悩んで送ったのではないかと感じるのだけれど、受け取った本人は無邪気に忍に共有してしまう。 さすがにあの幼馴染が不憫に思えてならない。 「学園の裏にある紫陽花の話ですよ?」 だから内緒話ではない。そう返されて苦笑いが浮かぶ。 憐れなのは京介だけではない。忍だって葵に想いを伝えきれていないのは同じなのだ。今日のように二人で出掛ける機会だってなかなか得られるものではない。

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