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act.8月虹ワルツ<400>

「今日はよく頑張ったな。北条が傍にいるっていったって、知らない人ばっかのところで怖かったろ」 「……うん」 櫻の演奏が素晴らしかったことはすでに聞いている。楽しかったとも言っていたが、葵にとっては常に気を張っていなければならない場だっただろう。学園内では同年代の生徒に囲まれることには慣れてきたが、大人だらけの場に身を置く経験はなかったはずだ。 「皆櫻先輩のこと悪く言うの。ニコニコしながら、嬉しそうに。それがすごく怖かった」 櫻の家庭環境は把握している。彼自身が語ったわけでなくとも、学園で生活していれば自然と耳に入る話だった。無関係の上級生の耳に入るぐらいだ。噂好きが集まる社交の場ではもっと直接的な言葉が飛び交う予想はしていたが、その通りだったらしい。 実の母親に蔑まれて育った経験を持つ葵にとっては、辛すぎる環境だったと思う。嫌な記憶を呼び覚まして取り乱す可能性も考えた。冬耶はそのことも心配して、演奏会への外出を最後まで躊躇っていた。 けれど遥は今日の経験が葵に良い影響を与えてくれることを期待していた。 「でもね、櫻先輩は全然負けてなかった。一番格好よかったよ。皆が嫉妬しちゃうのも仕方ないって思えるぐらい綺麗だったの」 敵ばかりの場所で孤独に戦う強さを葵に真似てほしいわけではない。けれど、外野の戯言に左右されず逞しく生き抜く櫻から学べることがあるだろうと思った。 遥の思いが通じたかは分からないが、少なからず櫻の姿に感化される部分はあったようだ。葵は目を輝かせながら、まるで自分のことのように櫻の美しさを自慢してくる。 「じゃあ今日は行って良かった?」 遥の問い掛けに葵は間を空けずに頷いてみせた。けれどすぐに笑顔が陰る。促すように背に当てたままの手を動かしてやれば、葵は慎重に言葉を選びながら感じたことを打ち明けてくれた。 「皆櫻先輩のピアノが上手だって認めてるのに、どうして悪く言うのかな。あの場所に櫻先輩の味方は誰も居ないんだって。会長さんも敵にはならないけど、“しがらみ”があるから味方にもなれないって言ってて。それが少し難しかった」 それぞれの事情があることは分かっているとも葵は言ったけれど、その上で理解し辛いのだろう。 「でも今日は葵ちゃんが味方として応援に行った。それで月島は十分嬉しかったと思うよ」 「そうかな?そうだといいな」 「それを確かめるために今夜月島に会いに行くんだろ?」 寮に帰らなければそれは叶わない。そうやって諭すと、葵は小さく唸りながら遥の肩口に頬を預けてきた。遥と離れる決心はまだつかないらしい。だから遥はもう少しこのお喋りを続けることにした。 「葵ちゃんはさ、そうやって周りから悪く言われてる月島の姿を見てどう思った?月島を好きだって思う気持ちに変化はあった?」 「ううん、変わらないよ。……あ、違う。もっと大好きになった」 どうやら良い風に変わったらしい。今度ははにかんだ表情で櫻への想いを教えてくれた。

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