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act.8月虹ワルツ<406>

「昔から、何も出来なかった。それで、良かった。……けど」 抗うのにも傷つくのにも疲れ、ただ父から、そして周囲から蔑まれることを受け入れることにした。そのほうが随分楽だと感じたからだ。それにそのままの都古を葵が認めてくれた。好きだとも言ってくれる。それで十分だった。そのはずなのに。 「置いてかないで、アオ」 立ち止まることを選んだ都古には、懸命に前へ進もうとする主人の傍に居続ける資格がないのではないか。そんな思いが湧き上がって都古を襲い始めたのも事実。特にこの部屋で一人過ごすようになってから、日に日に不安が増していった。 そんな思いをうまく言葉に出来てなくて、ただ縋るようなことを言ってしまう。 「そんなことしないよ、大丈夫」 葵はすぐに都古を抱き締めて安心させてくれる。ただ葵が身につける服の匂いも、頬に当たる髪もいつものものとは違って都古を寂しがらせた。 直に髪に触れたいと願えば躊躇いなくウィッグを外してくれる。 「ずっと被ってたからぺたんこになってるかも。変?」 「ううん、可愛い。好き」 何度か指を通せば髪はいつも通りふわりと揺れだす。そのたびに金糸から香るシャンプーの匂いが都古の鼻腔をくすぐる。 「ねぇみゃーちゃん」 葵からも都古の髪に触れながら、諭すように呼びかけてくる。 「みゃーちゃんが頑張ろうって思ってくれたのは嬉しいけど、リレーは来年もあるんだから。今は無茶してほしくない。……って、さっき似たようなこと遥さんに言われたばっかりなんだけど」 都古を説得するつもりが、葵自身が遥に諭されたことを思い出したらしい。きっと葵は何かを頑張ろうとして遥を心配させたのだろう。口に出さなければ都古が知る由もないことを、こうして打ち明けて照れ笑いをするところも好きだ。 「似てるのかな、みゃーちゃんと僕は」 そんなわけはない。葵は都古にとって太陽のような存在。暗がりに這いつくばる自分と似ているわけがない。否定しなければならないのに、孤独に押しつぶされそうになっている都古を何よりも救う言葉でもあって結局反論は紡げなかった。 「えっと、とにかくね、みゃーちゃんが頑張りたいって思ってくれてるのは分かった。その気持ちも知らずに怒ってごめん。でもやっぱり無理はしてほしくない」 「アオも、無理してた」 「……何の話?」 問われて都古は“足首”と答える。 登校の許可をもらうため、まだ痛みが引かなかったというのに葵は宮岡相手に歩けるフリをしてみせた。都古は止めずにその意思に沿って手助けをしたのだ。主人相手に卑怯な駆け引きをするつもりはないが、自分だって無理をしてばかりだと自覚はしてほしい。 「それは……そう、かもしれないけど。みゃーちゃんが支えてくれたみたいに僕が手伝えることだったらいいよ?でもリレーはそうもいかないでしょ?」 同等の話ではないという葵の言い分も分からなくはない。でもまたあの憎たらしい顔が頭に浮かんだ。 どうあしらってもしつこく練習にやってくる七瀬に一度提案されたことがある。練習は代わりに七瀬がこなすから、都古は本番だけ出ればいい。そのあいだに出来るだけ怪我を治しておけという話だった。その時は馬鹿らしいと無言で断ったが、お互いの主張の折衷案としては一番良い方法なのかもしれない。 唯一の問題は、今更七瀬にどんな顔をして頭を下げればいいか、ぐらいだ。 「アオ、少し待って」 うまくいくかは分からない。だから都古は思いついたことを胸に秘めながら、もう一度葵の体を抱き締めに向かう。諦めていないことを知って葵は複雑そうな顔をしたけれど、数日の間には結論を出すと告げればようやく葵からも腕が回ってきた。

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