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act.8月虹ワルツ<416>

「お前を桐宮に通わせたままにする必要もなかったな。どうだ、今からでも転校するか?」 「勘弁してよ。高三で転校するなんて」 元々桐宮に通っていた櫻が月島家に引き取られたのは初等部に通っていた頃。その卒業と共に月島家が運営する学校に編入する案もあった。 けれど結局桐宮に居続けられたのは、不義の子だからと排除されたわけではない。一学年上に櫻がいれば律がプレッシャーで潰れる。それを危惧してのことだ。櫻自身、月島家の手から離れての寮生活は願ってもないことだったのだから、当時祖父からされた提案を断る理由など何もなかった。それを今更翻されるなんて堪ったものではない。 冗談ではあったのだろう。櫻が咎めれば、祖父は珍しく表情を緩めて笑い返してきた。 極力ストレスのない環境で律を育てようと手を尽くしたのは、祖父なりの愛情だった。評価は厳しいが、孫としては可愛がってやりたいのだと思う。 けれど律がこんなやりとりを耳にしたら、それこそ二度と立ち直れないほどプライドがずたずたに潰され、打ちひしがられるに違いない。 だから櫻は律をはじめ、親戚の誰にも祖父の考えを漏らしたことはなかった。 何も知らぬ外野から見れば、櫻は実力があるくせにコンクールへの参加を面倒くさがり、高い学費の掛かるお坊ちゃん校に通いたがる怠惰な金食い虫。櫻自身が疎まれる要素が増えることを構わないせいで、好き放題に噂される一方だ。 「で、卒業後の進路はどうする?」 「どうって。まだ決めてない」 「うちの大学に行く以外で何を迷ってる」 どちらかといえば月島傘下の大学に入る以外の選択肢しかないのだけれど、それを口にしたらさすがに彼も気分を損ねるかもしれない。 「留学。出来れば英語で過ごせるところがいいんだけど、オーストリアも捨て難いんだよね」 「うちの大学に入ってから留学したって遅くはないだろう」 「いずれ行くなら早いほうがいいでしょ」 ピアノの道で生きていくしかない。そう認識してから櫻は海外に行くことを視野に入れて、外国語の習得に何より力を入れてきた。だから生徒会の中で英語だけは忍や奈央にも負けたことはない。師事する先のアテも比較的早くに見つけていた。 ただ最近では英語圏ではない他言語の留学先にも興味が湧いてしまい、なかなか絞り込めずにいたのだ。 それに、と櫻は葵の顔を思い浮かべる。 葵と出会ってから留学する選択に迷いが出たのは事実。卒業しても揺るがない確かな関係を一刻も早く結んでおかなければ。そんな焦りもあって暴挙を働いたこともあった。今だって決して余裕があるわけではない。 卒業するだけでなく海外に飛び立てば、それこそ葵との距離は簡単には埋められないものとなってしまう。付き合いが長く、確固たる絆を作り上げている遥ならまだしも。

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