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act.8月虹ワルツ<419>

ひっきりなしに話しかけてくる目黒を無視しながら廊下を進むと、彼は櫻よりも先にボタンを押してエレベーターを呼び出した。まるで女性をエスコートするような仕草が櫻の苛立ちを煽る。 いっそ引っ叩いてやれば目が覚めるだろうか。いや、いくら攻撃であっても彼に触れることを想像しただけで嫌悪感がせり上がってくる。 「私の車は地下の駐車場に移動させてあるんだ。その前に荷物をクロークから受け取っていいかい?あぁ、櫻君の荷物も引き上げなくちゃね」 すっかり櫻を送る気で浮かれている目黒の言葉を聞き流していると、呼び出したエレベーターがやってきた。 「さぁ、どうぞ」 案の定目黒は開いた扉を押さえて中へと櫻を招き入れようとする。だが、櫻が足を進めることはなかった。中にはこの階に降りようとしている先客がいたからだ。 「……どうも」 「これはこれは北条君。失礼、気が付かず」 一瞬で事の成り行きを察したのだろう。冷めた視線を送りながら形式だけの挨拶を口にした忍に対して無難に応じたものの、なぜか目黒は忍に対して棘のある態度をとった。目黒は先ほど祖父が口にした噂話を耳にしているのだと理解する。これは忍への嫉妬だ。 「櫻。弦太郎さんに挨拶がしたい。部屋まで案内してもらえるか?」 「……では、お気を付けて」 忍の要求を受けた櫻は、エレベーターの扉を押さえたままの目黒にそう声を掛けた。その箱には乗らない。鈍い彼にも理解出来たようだ。分かりやすいぐらい肩を落とし、そして静かに姿を消していった。 「噂に信憑性が増しちゃうね。どうする?あとで腕でも組みながらホールを一周してみる?」 「勘弁してくれ。笑い事じゃないだろう。あいつの姿が見えないからまさかと思って来てみたら」 月島のイベントに訪れるたび、忍は目黒には気を付けろと忠告してくる。今回も目を配らせていてくれたようだ。正直なところあの男と狭い空間に閉じ込められることにならなくて助かった。 「“櫻君に迷惑を掛けないでほしい”だと」 「そんなこと言われたの?何様なんだか」 櫻を己の所有物とでも勘違いしているのだろうか。噂話を真に受けて北条家の子息相手に喧嘩を売るなんて随分大それたことをするものだ。家のパワーバランスでいえば、祖父のように北条家の体裁を気に掛けるのが普通なのに。 「予想していた流れではないが、こういった着地になって良かった。葵にあの男を絡ませたらどんなことになるか」 元々忍とは遠慮のないコミュニケーションを取る櫻の姿を見て、品のない月島家の人間たちが二人の関係を勘繰ってきたことは過去にもあった。今更何を言われたところで忍も全く気に留めないのだろう。 それに目黒の矛先が葵ではなく自分に向いたことに心底安堵しているようだ。恋をすると人は変わるというが、彼も例外ではない。 「まぁそれは確かに。これで良かったのかもね」 敵対しても不利益にしかならぬ御曹司相手にも嫉妬を剥き出しにした男だ。櫻が恋している相手が葵だと分かればどんな手を使って蹴落とそうとするか分からない。葵の過去を知っているというのも厄介である。

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