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act.8月虹ワルツ<428>

近頃リビングには毎日のように訪れていたけれど、寝室に足を踏み入れたのは連休の日以来だ。 あの日はここで櫻が選んだ服に着替え、出掛けた。そのあと何が起こったかの記憶は所々断片的にしか残っていない。昔の記憶を蘇らせる服装だったせいで、常に酷く頭が痛んでいたからだ。 そういえば、と葵は思い立つ。あの時訪れた店で櫻は葵のための服を注文していた。寮に送ると言っていたが、一ヶ月経つのだからもうとっくに届いていると思うのだけれど。 気になって開け放たれたままのクローゼットの中を覗けば、あの店のロゴが入った包みが奥に押し込められているのを見つけてしまった。 人のクローゼットの中身を無断で漁るなんて真似はいけないことだと思う。でも開封された様子もなくああした扱いを受けている原因はきっと自分にあるのだから、少なくとも無関係ではないはずだ。 封を破ることまではもちろんしなかったが、どうしても見て見ぬフリは出来ずに手前まで手繰り寄せることはしてしまう。 光沢のあるつるりとした袋の中身は、あの日身につけたワンピースに負けず劣らず可愛らしい服のはず。櫻はそれを着た葵の姿も見たがっていた。 でも葵が試着室で取り乱してしまったせいで、この荷物が届いたことを知らせてこなかったのだろう。中を確かめた様子もない。櫻にあの日のことを後悔させてしまっているのだと感じ取れた。 葵からすれば驚くほど高い買い物だったはずだ。葵がねだったわけではないが、それが無駄になってしまったのだと思うと罪悪感に襲われた。 「あぁ、ちゃんと起きてたね。……って、何やってるの?」 包みを抱いてぼんやりとしていると、体感以上に時間が経っていたのだろう。濡れた髪をタオルで乾かしながら櫻が戻ってきてしまった。すぐに葵が手にしたものの正体を理解した櫻から笑顔がなくなる。 「開けっ放しにしてたのは僕の責任。でもダメでしょ?人の荷物見ちゃ」 櫻は葵から包みを取り上げてクローゼットに放り込むと、有無を言わさず扉を閉めてしまう。 「あの、でもあれ……」 「気にしなくていい。これでも本当に反省してるんだから」 おかしくなってしまった自分が悪い。謝るべきは葵だ。それなのに、櫻は一方的に会話を切り上げて部屋を出て行こうとしてしまう。 「髪を乾かしてくるだけ。もうちょっと待ってて」 思わず櫻の羽織るガウンを引っ張れば、寂しがっていると思われたようだ。幼い子供を相手にするかのようにぽんと頭を撫でられ、おまけに頬にキスまで与えられる。でもそうではない。この話を有耶無耶にはしたくなかった。 「こんなとこまで着いてきて。ベッドで待ってればいいのに」 髪を濡れたままにさせるのは良くない。けれど櫻とは離れたくない。両方を叶えるには共に洗面所に向かうしかない。櫻は葵の行動を笑ってくるが、つられて表情を緩めることは出来なかった。 櫻がドライヤーで髪を乾かしているあいだ、葵はずっと彼の背中に張り付いていた。その温もりを感じながら、櫻に何を伝えるべきかを必死に考え続ける。でもすぐ傍で響いていた風音が鳴り止んでも、まだ適切な答えは見つかっていなかった。

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