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act.8月虹ワルツ<434>
「まだ何か?」
「気になっているだろうから共有だけしておく。あの記者の問題は先ほど解決した。以上だ」
抑揚のない声音で言われたものの、事務連絡として受け流すのは無理がある。今度は穂高が忠司の帰りを止める番だった。
「解決とは?」
「馨様に関する内容が記事として出ることはない。そういうことだ」
「そうではなく、何をしたんですか?金を握らせただけで簡単に黙るような類の相手ではないと思いますが」
藤沢家の力を持ってすれば、誌面を発行している会社自体に圧を掛けることは出来るだろう。
だがエレナをずっと追っていたという根岸という記者は出版社に正規で雇われた社員ではなかった。調べたところ彼はフリーランスのライターとして、様々な出版社にゴシップ記事を納品するだけの関係だった。彼が名刺に載せていた出版社がダメになったのなら、別の会社が発行する週刊誌に記事を持ち込むことが可能だ。上から潰す方法ではイタチごっこになりかねない。
「金以外にも方法はある」
「……ですから、一体何をしたんです?」
「お前は知らなくていい」
忠司は疑ってかかる穂高の視線を避けるように突き放す言葉だけ残すと、足早に去っていった。
害虫駆除には専門の業者を雇う。柾がそう表現したのはただの比喩だと思っていたが、何か人道的ではない交渉の仕方をしたのだと察しがついた。
穂高は葵のためならどんなことでもするつもりでいる。それこそ、己の手を汚すことも厭わない。誰かがやらなければ、穂高が自ら手を下す覚悟だってしていた。けれど、顔色ひとつ変えずに平然と“何か”が出来る柾にも、そして忠司にも嫌な胸騒ぎを覚えさせられる。
恐らく彼らにとってこんなことは初めてではないはずだ。記者が疑惑を抱いていたエレナの死の真相とやらに柾が興味を示していたことも、振り返ると妙に意味を持ったもののように思えて気に掛かる。あの件にも彼らは携わっているのだろうか。でも一体なぜ、どうして。
ざわつきだした鼓動を抑えるために、穂高は己の胸に手を当てる。そこには宮岡づてに葵から貰った金平糖の粒を忍ばせていた。
あの子を守れた。それで良かったのだと無理やり自分に言い聞かせるしかない。
穂高は数度大きく深呼吸を繰り返して動揺を振り払うと、忠司に指示された通りに椿が居座っているであろう応接室に足を向けた。
椿には藤沢家の子息として振る舞えるよう特別なプログラムを組んでいる。だから講義やレッスンの場として彼専用の部屋を一室与えていた。けれど、椿はその部屋が気に入らないのか、度々抜け出しては寝心地のいい場所を探し回っている。今の彼には来賓用の高級ソファが一番好ましいベッドなのだろう。
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