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act.8月虹ワルツ<438>
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まだ日付が変わったばかりの時間帯だというのに、窓から見える繁華街には思ったより人が居ない。降りそうで降らない不安定な天気のせいだろうか。そんな予測は運転手の言葉で覆される。
「明日は登校されますよね?一応寮に向かってますけど」
「んー?……あぁ、そっか、日夜だからネ」
世間では明日から仕事や学校が始まる者が多い。新しい週に備え、早くに人が引いたのだろうと理解した。
相変わらず徹は若葉に学生生活を送らせたいらしい。つい先ほどまで共に汚れ仕事をこなしてきたというのに、不思議なものだ。彼の言うことを聞くつもりはないが、先日中途半端に触れた獲物の様子を窺いたいとは思う。
あれから葵は学校を二日休んだ。そのおかげで接触はおろか、姿を見ることも叶っていない。ただ、京介や生徒会の様子から察するに、恐らく葵はあの夜の出来事を誰にも話していないのだろう。
もしくは綺麗さっぱり忘れてしまっているか。
随分寝惚けていた様子だったから有り得なくはないのかもしれないが、目を見て会話をしたし、体だって好きに弄ってやった。目覚めた時に葵は自分の状態をどう解釈したのだろう。つくづく若葉の予想を軽々と裏切る存在だ。
それに、と若葉はついさっき回収してきたばかりの荷物に手を伸ばす。
「まさか葵チャンがターゲットとはネ。どんな偶然なんだか」
まだ赤ん坊と言ってもおかしくない年齢の頃から今に至るまで撮り溜められた写真。倉庫で出会ったストーカー教師を想起させるが、この写真を撮影した人物は葵に性的な興奮を覚えていたわけではない。それは使い込まれた小汚い手帳を見れば分かる。
「正確には葵さんではなく、そのお父上が標的だったようですが」
「“パパ”があの藤沢馨か。すげーな、あいつ」
学園内で葵が藤沢グループの子息だなんて話は一度だって耳にしたことがない。さして珍しい苗字でもないおかげで、その可能性を考えたこともなかった。
「葵さんの情報が簡単に手に入らなかったのもこれで理解出来ましたね」
徹には先日葵のことを調べるよう命じていた。本来なら学園に通う生徒の情報を仕入れることなど一日も掛からずにこなせる楽な仕事のはずだったが、予想以上に徹は苦戦していた。
学園の理事から流させたファイルに葵の保護者として記されていたのは、冬耶の父親の名前。連絡先も彼の携帯番号だった。事情を聞いてもそれ以上の情報は流せないの一点張りだったらしい。
仕方なく一ノ瀬が所持していた葵のストーキング記録から割り出そうとした矢先に、こうして思いがけずに葵の抱える秘密を手に入れることが出来た。
週刊誌の記者だという男の手帳には、葵の家族とその家で起きたことがつぶさに記録されていた。所々あの男の考察や妄想が書き込まれてはいるが、大体の流れを把握するには困らない。
「弟が家ん中で事故死。んでママが目の前で自殺。挙句、可哀想な葵チャンを置いてパパは海外に逃亡。呑気な顔してるわりにとんでもない人生送ってたのネ、あいつ」
若葉は不幸にみまわれ、凄惨な人生を送っている人間を幼い頃からそれなりに見てきた自負がある。むしろある程度の年齢になってからは、若葉自身が人を底辺に引き摺り落とす立ち回りをすることも増えてきた。
自業自得だと断言出来る相手ばかりで心が動くこともないが、葵はそうした輩とは種類が違う。とはいえ、葵に特別同情する気持ちも生まれない。
ただ、泣きながら父親を呼んでいた訳も自分の体を傷つける癖にも、ある意味納得がいってスッキリした思いがする。
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