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act.9極彩カメリア<11>

「あぁ、疲れちゃったよね。一旦休憩しよ?待ってて、お水持ってくる」 七瀬はきっと葵の様子をおかしいと思ったはずだ。けれど笑顔を絶やさぬまま葵を木陰に座らせると、給水機のあるほうへ駆けて行った。 「思い出しちゃダメ、大丈夫」 興奮して荒くなった吐息も、名を呼ぶねっとりとした声も、賑やかなクラスメイトたちの声で上書きしようと努めるがなかなかうまくいかない。 震える体を自らの腕で抱き締めて必死に平静を取り戻そうとしていると、目の前に黒い影がおりた。 「アオ」 こちらを真っ直ぐに見据える黒い瞳。その存在に気が付いただけで自分でも驚くほど安心する。救いを求めるように両手を伸ばせばすぐに慣れ親しんだ体温が包んでくれた。 「何が、こわい?」 問われても今はうまく説明出来そうになくてただ首を横に振るしかない。それに都古に抱き締められただけで十分に落ち着くことが出来た。 「ありがとう、みゃーちゃん。もう大丈夫。ごめんね、練習の邪魔して」 「どうでも、いい」 「戻っていいよ?ほら、松木くん困ってるし」 相方をなくして練習できずに暇を持て余しているクラスメイトを指し示しても、都古は関心を向けない。 葵の様子を心配してやってきてくれたのはありがたい。現に彼が来てくれなければ、まともな思考に戻れるのにもっと時間が掛かったはずだ。でもせっかく学園行事に参加する姿勢を見せ始めた都古を立ち止まらせたくはない。 「みゃーちゃんは怪我、痛くない?」 「平気」 「じゃあ練習戻ろ?」 促しても都古は渋い顔をして立ち上がる気配を見せない。ここに居ると主張するために葵の体を一層きつく抱き締めてもくる。こうしていると葵だって離れがたくなってしまうから問題だ。 「やっぱり、無理してる」 都古は一昨日のやりとりを振り返るように指摘してくる。怯えた様子を見られてしまったのだから、言い訳は出来ない。けれど、今ここで怯えた理由を打ち明けることは避けたかった。皆が楽しく過ごしているそばで、これ以上取り乱したくはない。 「……あとで話すから」 都古はまだ不服そうだったけれど、葵の妥協案に頷いてはくれる。ちょうど七瀬がジュースを片手に戻ってきてくれたのも後押しになった。 七瀬はわざわざ自販機までりんごジュースを買いに行ってくれたらしい。水よりも葵が喜びそうなものを選んでくれる優しさがありがたかった。 しばらく見学することを願い出れば、七瀬は都古を引き連れて練習の輪に戻ってくれる。一人残ることに寂しさを感じないわけではないが、二人ともを見学に付き合わせるよりはずっと心が軽くなる。 しばらくクラスメイトの様子を観察していると、今度は足の速さでペアを組む流れになったようだ。七瀬が都古を指名したことで凄まじい身長差のコンビが出来上がっているのが見えて、思わず笑ってしまう。 笑顔になったのは葵だけでなく、他のクラスメイトたちも同じだったらしい。二人を囲んで口々に茶化しだしている。都古は相変わらずつまらなそうな顔をしているけれど、ああしてクラスの中心に収まっているところを見られるだけで葵を嬉しくさせる。

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