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act.9極彩カメリア<12>

「フジ、ちょっといいか?」 賑やかで平和な光景を眺めていると、葵と同じように生徒たちの様子を見学していた体育教師、熊谷が声を掛けてきた。傍にはライン引きが並んでいる。それを見てこのあと何を頼まれるかは簡単に予想がついた。 「体育倉庫ですか?」 「あぁ、でも具合悪いんなら休んでて構わないぞ」 「いえ、手伝います」 葵が立ち上がると、熊谷は笑顔を向けてくれた。 初等部や中等部で体育を受け持った教師はいずれも、見学ばかりの葵の対応に困った顔をしていた。厳しい言葉を掛けられたことも一度や二度ではないし、初めからクラスに存在しないものとして扱われることもあった。 だから葵にとって体育の授業はますます苦手な教科になっていたのだけれど、熊谷だけは葵の存在をないがしろにしない。プレイヤーとして活躍出来なくても、得点を数える係や、用具の管理を手伝わせて仲間に入れてくれるのだ。 ライン引きを手に取って熊谷と歩き出すと、グラウンドから都古が名を呼んでくる。練習を放り出して後をついてきてしまいそうだから、葵はジェスチャーでこれを運ぶだけだと伝えた。 以前にも増して葵の傍を離れたがらないのは、きっとあんなことが起きたからだ。葵だってもしも一人で倉庫に向かわなくてはいけないとあれば不安に思うかもしれないが、今は熊谷が一緒にいる。 「他の奴らにも同じぐらい優しく出来るといいんだけどな」 都古の心配性は葵だけに発揮される。熊谷の言うとおり、他の生徒や教師には関心も持たないし、無愛想極まりない態度をとりがちだ。熊谷相手にもそう。でも彼は咎めることなく苦笑いで済ませてくれる。 「リレーの選手やるんだって?随分真面目に練習してるって聞いたぞ」 「そうなんですか?」 「あぁ、フジにいいとこ見せたいんじゃないか?」 熊谷の豪快な笑い声を聞きながら、葵は複雑な思いに苛まれる。 酷い怪我を負っていると知っている以上、選手を辞退してほしい気持ちは変わらない。頑張りたいという気持ちだけで十分だし、来年度だってあるのだ。でも前向きに取り組んでいたと聞かされると、彼の気持ちを汲んでやることが正解な気もしてしまう。 グラウンドの脇にある体育倉庫には、陸上競技に使う器具や、三角コーン、ボール類が雑多に仕舞われている。日中だからか、熊谷は明かりも点けずに奥に入っていくが、葵は暗がりの多い場所に足を踏み入れることを躊躇った。 「そこ置いといてくれ。戻ってもいいぞ」 入り口で立ち止まる葵に気が付き、熊谷はそうして逃げ道を与えてくれる。 でもさすがに熊谷を置いて行くのも気が引けて、倉庫の奥で器具の整理を始めた彼の帰りを待つことにした。

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