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act.9極彩カメリア<27>

* * * * * * 夕食にはほとんど手が付けられなかった。バウムクーヘンを食べたせいでもあるが、食堂に向かう直前まで聖と爽に代わる代わる唇を奪われていたせいだ。呼吸が出来ないほど激しいものではなく、微睡の中に揺蕩うようなもので、そのまま眠れたらどんなに良かっただろうと思うぐらいの浮遊感が続いているのだ。 「だから七瀬と同じ量食うなっつったのに。夜中に腹減っても知らねぇぞ」 「……ごめんなさい」 元々放課後おやつを食べることに反対していた京介は、葵が残したものを片付けるのを手伝ってくれながらもしっかりと小言は与えてくる。口答え出来る立場ではないのだから、ひたすら謝るしかない。 京介には食堂を出てからも叱られてしまう。でもそれは間食を責めるものではなかった。 「あんま好き勝手触らせんなっつってんだろ。またあいつらの匂い付けてきやがって」 バレていないと思っていたのは葵だけだったらしい。チリっと痛みが走るぐらい耳を噛んできた京介は、そのまま不機嫌そうに自室に戻ってしまった。 京介でも匂いで気が付いたということは、更に鼻のきく都古にも当然バレてしまっているだろうか。不安になって隣を見上げれば、意味深な笑みを落とされた。彼は体育の授業で若葉と接触したと打ち明けた時も怒っていたし、今も機嫌が良くて笑ってくれたわけではないことぐらい理解出来る。 「上書き、する?」 「勉強しなくちゃいけないから」 妖しい笑顔で誘ってくる都古から逃れ、葵は同じフロアに帰る先輩たちの元に駆け寄った。彼とは明朝また会うのだから、これはその場しのぎでしかない。むしろ逃げれば逃げるほど、都古のストレスを溜めてしまうことは分かっている。けれど今はこうすることしか出来ない。 まだ双子に触れられたせいで灯った熱がぐずぐずと体に留まっている気がするのだ。こんな状態で都古と二人きりになったら、また自分からねだってしまいかねない。 先輩たちといつものようにお別れした葵は、自室に戻るなり早々に寝支度を整えることにした。勉強や生徒会の準備をしてからでは、風呂に入る気力が湧かないことを学習したからだ。 浴室に向かう前に携帯を確認すると、宮岡からメッセージが届いていた。 “急だけど、明日はどうかな?” カウンセリングの日程打診の連絡だった。出来るだけ早く会いたいと我儘を言い、調整してもらったのは葵のほうだ。遥からはいつでもいいと言われているし、葵はすぐに了承の返事をする。するとすぐに店の候補が送られてきた。 学園から一番近い繁華街にあるその店はチーズリゾットが有名だと口コミに書いてあるが、宮岡の目当てはキャラメルソースのかかったアップルパイだと予想がつく。いくら甘いものが好きな葵でも尻込みする大きさのパイも、宮岡なら平気で食べ切ってしまうだろう。想像しただけで頬が緩む。 宮岡と出会って医者のイメージは大きく変わった。まるで年の離れた友人のように接してくれるなんて思いもしなかった。カウンセリングが目的ではあるけれど、宮岡に会うこと自体が楽しみになっている。 もしも葵が過去の出来事に向き合うことを恐れなくなったら、その時はもう宮岡に会う理由がなくなってしまう。そう考えると寂しい気持ちにさえなってしまうのだ。

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