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act.9極彩カメリア<28>
遥にも宮岡からの情報を共有し、葵は今度こそ着替えを持って浴室に向かった。
全身についた傷は段々と薄れてきているが、まだ綺麗な状態とは言えない。視界に入れるとどうしてもあの夜の記憶が蘇ってしまいそうになるから、葵はすぐにスポンジを泡立てて肌の上を滑らせていく。気休めだけれど、こうして白い泡で傷が隠れると安心出来た。
浴槽に張った湯には入浴剤を垂らして白く濁らせる。今までは香りを楽しみたくて入浴剤をよく使っていたが、今は自分の体を直視しないために濁らせるものばかり選んでいた。
体育の授業での出来事といい、まだ自分は完全に立ち直れているわけではないのだと思う。ことあるごとに記憶を蘇らせては取り乱してしまう。体の傷が治れば自然と忘れられるのか、それとも宮岡に相談すべきか。
葵は湯に沈めていた片足を引き上げ、その足首に触れる。そこには拘束によって出来た擦り傷が刻まれていた。指でなぞってももう痛みはない。何も知らない者が見ても、それがどうして出来た傷なのかは予想がつかないぐらいには治りかけている。それでも葵の中には革で縛られた感触がしっかりと根差していた。
次の体育の授業までには解決しないといけない。これ以上クラスのお荷物にはなりたくないし、何より都古や七瀬に余計な心配をかけてしまう。
浴室を出た葵はタオルでおざなりに髪を拭うと、ベッドに駆け込んだ。そこには葵の友人たちが帰りを待ってくれている。ふわふわの毛並みの彼らを抱き締めて心を落ち着かせると、葵はそのうちの一人、クマの首元に手を伸ばした。
「ちょっとだけ貸してね」
彼からリボンを拝借して、自分の足首に巻きつける。自らの手で行なっているにも関わらず、やはり足首に紐状のものが巻かれる感触は葵に嫌な記憶をちらつかせた。ミルキーホワイトのリボンはなめらかであの日の冷たく硬い革とは全く違うというのにだ。
心臓が嫌な音を立てて鼓動するたびに深呼吸をし、再度リボンを巻き直す。自分で考えた克服方法を繰り返し試してみるが、心は落ち着くどころか深みに嵌っていく感覚に陥った。
「……ん……大丈夫、だから」
自分に言い聞かせながらもう一度リボンを巻きつけたところで枕元に放っていた携帯が震える。
“行けなくなった”
送り主は登録のないアドレス。でも見覚えはあった。以前にも同じ相手から一言だけ送られてきていた。その時は間違いとか、迷惑メールの類だと思い込んで反応せずにいたが、もしかしたら知り合いなのだろうか。
知らない相手からの連絡には応じないように。携帯を渡される時に冬耶からはそう言い含められていたが、相手が誰かを確認するぐらいはしたくなる。
けれど、返信をするか悩むうちに今度はメッセージアプリの通知が来たことで葵の気が逸れる。今度の送り主は葵のよく知った相手。
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