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act.9極彩カメリア<29>
“おやすみ”
食堂では怒って去ってしまったのに、こうして寝る前の挨拶は欠かさず送ってきてくれる。日常的に夜更かしをしている京介のことだから、きっとまだ眠るには早すぎる時間だと思うのに。
自分で思っているよりも心が不安定だったのかもしれない。いつもならただおやすみと返すだけに留めるのに、今夜は違う文章を打っていた。
“ちょっとだけ会いたい”
送ってから後悔する。引っ越してから何度も弱音を吐きそうになったが、京介には言わずに我慢していた。彼が一番に葵のことを心配してくれていたから。それなのに自分でその努力を台無しにしてしまった。
慌てて送信自体を取り消そうとするが、その前に京介から返事が来た。
“エレベーター前”
そこで会おうということなのだろう。今からでも誤魔化すべきか悩んだけれど、京介に会ってこの心細さを解消したい気持ちが勝ってしまった。消灯時間を過ぎた寮は真っ暗にはならないが、全体的に薄暗くはなる。葵は恐怖心を紛らわせるためにウサギを抱えて部屋を飛び出した。
エレベーターで一階のエントランスに降りると、そこにはすでに京介の姿があった。
「お前、靴は?」
問われて初めて自分が裸足であることに気が付く。思っていた以上に動揺していたらしい。
「髪も濡れたまんまだし。何やってんだよ」
「……ごめん」
京介は当たり前のように葵を抱き上げてくれる。小さい頃から何度も抱き締めてくれた腕の中におさまると、あれほどざわついていた心が途端に落ち着きを取り戻し始めた。
「どこ行くの?」
葵からも京介の首元に手を回せば、彼は一般生徒用のエレベーターのボタンを押した。葵はここで少し話せればそれでいいと思っていた。でも京介にはそのつもりがなかったらしい。
「俺んとこ。髪そのままにしておけねぇだろ」
「……うん、そっか」
一緒に寝ようと言われたら自分は最後の意地で断っていたと思う。でも髪を乾かしてくれる、なんてもっともらしい理由があれば素直に身を委ねられる。
彼のシャツや髪からほのかに香る煙草の匂い。相変わらず吸い続けているらしい。葵が共に居る時には一応気は遣っていると言っていたことがあるから、別部屋になった今量は増えてしまったのかもと思う。
その予測通り、京介の部屋にも煙草の香りが漂っていた。でもそれは嫌ではなくて不思議と葵に安心感を与えてくれる。
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