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act.9極彩カメリア<37>

「冬耶たちが何度も聞いたそうです。“お前が死ねばよかった”って葵ちゃんが言われてる光景」 「ひどい話ですね」 宮岡も穂高から似た話は聞かされていた。穂高はそうして葵が責められ、蔑まれるたびに否定してやったそうだが、心に刻まれた深い傷は塞いでやれなかったと悔やんでいた。 葵がエレナに連れ出され湖に落とされた話もそうだ。その命を持って償えと言われたことが未だに葵を捕らえて離さない。 穂高はこれほど葵が傷つけられる前にエレナに手を掛けていればと考えたことがあるそうだ。それを初めて聞いた時はさすがに過激すぎる思考だと心配になったが、当時のことが分かるほどに穂高がそう言いたくなるのも無理はないと思わされる。 「今日は一人にしないほうがいいと思います」 「そうですね、寮には帰さず家に連れて帰ります」 遥が家と称したのは彼の実家ではなく西名家のことだった。冬耶や両親に会わせてやるのが葵にとって最善だと判断したようだ。宮岡もその案には賛成だった。 それに寮に帰らせるのを躊躇う理由は他にもある。 「実は葵くんから弟のこと以外に相談事があると言われてたんです。自分は夢遊病かもしれない、と」 遥はその単語自体にはさして驚きを見せなかった。彼も先週葵本人から相談を受けていたらしい。でも宮岡には葵が聞かせてくれた症状が“夢遊病”などではないと思えてならなかった。 「それ、本当ですか?」 「えぇ。さすがに自らの手で日焼け止めを塗るような箇所ではありません。葵くんでなければ、自慰目的で触れた可能性も考えられなくはないんですが」 事前に葵から具体的に聞き出したことを共有すると、葵がパニックに陥っても一定の落ち着きを見せていた遥が初めて大きな動揺を見せた。 日焼け止めを塗っていたことは知っていたようだが、その先が下半身だと聞かされればそれも当然だろう。宮岡も葵からメッセージが届いた時は自らの目を疑った。 「今葵くんの部屋に入れるのは信頼のおける方だけなんですよね?葵くんにそうした悪戯をしかけそうな相手はいないと考えて大丈夫かな?」 「それでいうと完全なゼロではないですね。葵ちゃんを傷つける目的を持つ者はいませんし、信頼はしていますけど」 遥の話では、生徒会のメンバーは葵に思いを寄せる者ばかりらしい。大切に接してはいるそうだが、キスやそれ以上の行為に及んでいそうな人物がいるのも事実だと。 「仮に夜這いしていたとしても、そのあと服も着せずに放置して帰るようなことはしないと思います。葵ちゃんが体弱いのは皆知ってますし」 そうは言うものの、遥の中で完全に可能性が消し去れるわけではないようだ。複雑な顔をしてしばし黙り込んでしまう。 「一人だけ、絶対に手を出してないって断言できる後輩がいるので、次からは彼に付き添わせます。少なくともこのことが片付くまでは」 遥はそう結論づけて、別れを告げてくる。 最後に言葉を交わしたかったけれど、すっかり寝入ってしまった葵を起こすのは可哀想だ。アップルパイの入ったボックスにメッセージを添えて遥に託すだけに留めた。 このボックスを開く時はどうか葵が笑顔でありますように。宮岡は祈るような気持ちで小さくなっていく車を見送った。

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