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act.9極彩カメリア<38>
* * * * * *
トースターで軽く温め直されたアップルパイと、砂糖たっぷりのミルクティー。目の前に置かれて目線を上げることは出来ても、うまく言葉が出てこなかった。まるで小さな頃に戻ったみたいだ。
目が覚めた時、一番初めに葵の視界に入ってきたのは無数にぶら下がる魔除けのアイテム。それを見てすぐにそこが冬耶の部屋だと理解した。身じろぎすると両側から大好きな二人の腕が伸びてきて抱き締められる。
また失敗してしまった。迷惑をかけたことを謝りたいのに、泣きすぎたせいで喉がひりついて声にならない。二人はただ笑って両親の待つ階下へと葵を連れて行ってくれた。
最近この家に帰るのは何かが起こった時ばかりだ。心配を掛けないよういつも笑顔でこの家の門をくぐりたいと思っているのに、ちっともうまくいかない。
眠っているあいだ、葵のお腹が空腹を訴える音を上げていたらしい。だからこうして夜の時間帯にはふさわしくないおやつが差し出されたのだ。
宮岡が託してくれたアップルパイのボックスには、“感想教えてください”なんて言葉と共に、葵がよく使うウサギのスタンプを模したイラストが描かれたメモが入っていた。お世辞にも上手とは言えないけれど、彼がまだ葵と仲良くしてくれるつもりだと分かっただけで十分に嬉しかった。
「美味しい?お兄ちゃんもちょっとだけ欲しいな」
寄り添うように隣に座る冬耶に乞われ、葵はアップルパイをフォークで切り分け、彼の口元に差し出した。ピアスの輝く唇が大きく開き、そしてパクりとパイを頬張る。満面の笑顔が向けられて、葵はまた幼い日のことを思い出した。
この家に来たばかりの頃も、もっと昔、隣人として過ごした時も、冬耶はいつだって葵に優しかった。何も喋れなかった葵に嫌な顔一つせず、こうして笑顔で接し続けてくれる。兄が笑顔以外の表情を浮かべているところなどほとんど見たことがない。
でも兄は一ノ瀬に関することでは葵を何度も叱ってきた。翌朝登校しようとした時も、一ノ瀬のことを無理に忘れようとした時も。
若葉が言っていた通り、あの夜の映像を見たからあれほど怒っていたのだろうか。
「おに、ちゃんは……」
「うん?なーに?」
切り出したものの、確かめることは出来なかった。開きかけた唇を閉じ、間違いだったことを表すように首を横に振る。冬耶は無理に追及することなく、残りのアップルパイを食べ進めるよう促してきた。
向かいのソファには遥や陽平が座っていて、時折談笑しながらコーヒーを飲んでいる。遥がフランスに行く前はよくこうして遊びに来ていた。長期休みの時はこの家に何泊もすることだってあったし、皆で買い物や外食に行くこともあった。こんなことを言ったら譲二が寂しがってしまうかもしれないけれど、遥もこの家族の一員のような存在だと葵は思う。
でもはたして自分はこの家の家族になれたのだろうか。また誰かを不幸にしてしまうのではないか。最近ではそうした思考に捉われることは少なくなっていたのに、宮岡とのカウンセリングのせいか、無性に不安になってしまう。
母からもたらされた言葉の中には、悪魔とか疫病神とか、そんなものもあった。迷惑を掛けてばかりの自分は今も変わらず……。そこまで考えて、慌てて頭を切り替える。彼らの前でまた取り乱し、腕を噛み千切ろうとしかねなかった。
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