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act.9極彩カメリア<41>

「やっぱりこっちで寝たくなっちゃった?いいよ、それでも」 「……ううん、和室がいい。旅行の時みたいに」 「あぁ、もしかしてその時の写真探してた?プリントしてないからお兄ちゃんの携帯に入ってるよ。あーちゃんの携帯にも送っておこうか?」 冬耶は早速とばかりにポケットから取り出した携帯に当時の写真を映し出してくれた。 寮を出発するところから始まり、電車でお菓子を食べながらのお喋りや、到着した目的地の駅看板の前ではしゃぐ姿が次々と表示される。間違えて葵の浴衣を着たために丈が全く足りてない冬耶の写真まであって、思わず笑顔になってしまう。 「そうだ、みや君の置いてった浴衣借りたら?もっと旅行気分になれるかもよ」 冬耶たちも陽平が夏に部屋着として愛用している甚平を借りて少しでもあの日の思い出に近づくことを提案してくれた。 風呂上がりに三人で変身した姿を両親に見せに行くと、リビングでくつろいでいた彼らは揃って驚いた顔をしたものの、すぐに面白がって笑い始めた。記念撮影もしてくれる。次に遥が帰国した時には両家で温泉に行くのもいいかもしれないなんて話まで上がった。 葵は家族団欒の中に身を置きながら、窓から見える隣家にふと視線をやる。明かり一つ灯っていない屋敷はこの家とは対照的だ。引っ越した時には絵本に描かれたお城のようだと思ったのに。 もしも葵がシノブの代わりになってやれたなら。今頃まだあの家は明るいままだったのだろうか。 引き寄せられるように窓に向かい外を眺めていると、隣に遥が並んできた。何も言わずただ葵の肩を寄せて抱き締めてくる。 “シノブ、あぶないっ” 壁を伝った先が階段であることは気が付いていた。でも声を掛けることも、まして触れることも禁じられていたのだ。躊躇っているうちにいよいよ弟の体が階段に辿り着いてしまいそうで、そこでようやく声を出した。 振り返った弟の表情は笑顔だった。でもそれ以降、自分たちに何があったのかは思い出せない。 葵が呼び留めたからバランスを崩してしまったのかもしれない。そもそも躊躇わずにもっと早く足を止めさせるべきだった。いや、簡単にシノブを抱え上げられる大人を呼べば良かった。 宮岡の手引きで少しだけ鮮明になったあの日の記憶を振り返ると、どう懺悔しても足りない思いに襲われる。 無意識に手首を口元に寄せれば、その手は遥に繋がれてしまった。言葉でなく、絡めた指の強さで葵を叱りつけてくる。 でもそれなら行き場のないこの気持ちはどうしたらいいのだろう。 葵が自分の体を傷つけたって、今から身代わりになろうとしたって、シノブは生き返らない。それは分かってはいるけれど、自分だけが温かな家族に包まれて幸せに生きようとすることが時折大きな誤りに思えてならないのだ。 自分を戒める行為を奪われ、涙を溢すことしか出来なくなった体は遥に抱え上げられた。肩口に頬を預けると、また頭の中で声が響く。今度は幼い自分の声ではなかった。 “お坊ちゃま、おやすみなさい” どれだけ悲しいことがあっても、そうして眠りを促されたら安心して目を瞑れた。ずっと傍にいてくれると誓ってくれた存在だから。 宮岡と会うたびに相手の声は段々と鮮明になるけれど、こちらを見下ろす顔はやはりぽっかりと穴が開いたようになっていて拝むことが出来ない。その事実もまた、葵を苛むのだった。

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