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act.9極彩カメリア<44>

「それとも、葵ちゃんに踏み込んでほしくないことがあるから、なのかな。そういう距離の取り方って」 双子の誕生日を機に葵は西名家で育ったことを教えてはくれたが、それまでは家族についての話は一切口にしなかった。今だって西名家に引き取られた経緯や血の繋がった家族のことは冬耶から聞かされているだけで、葵からは何一つ打ち明けてもらってはいない。 無理強いせず葵のペースに合わせようとは思う。けれど、自分たちの距離はこの数週間でもう一歩縮まったはず。さらに深い関係を望みたくもなる。 「あぁごめん、困らせるつもりはないよ。ただ僕はもう葵ちゃんに色々晒け出してるわけだし、変な遠慮はしないでほしいってだけ」 無防備なことを示すように上半身に何も身につけないまま両腕を広げれば、葵は少しの躊躇いを見せたあと飛び込んできた。糊の効いたブレザーの感触ではなく、葵の柔らかい肌を味わいたいところだが、こうして二人きりの時間を満喫出来ただけでも幸運だと思わなければならない。 「もう全部測り終えた?食堂行こっか」 椅子の背に掛けられたシャツに手を伸ばしながら葵に持ち掛けると、泣きそうな顔で頷きが返ってきた。 「じゃあほら、着せて?」 いつも通りの我儘を口にすると、ようやく葵の表情が緩んだ。照れくさそうにしながら櫻が羽織ったシャツに手を伸ばし、ネクタイも結んでくれる。 「下手くそ」 「……それなら自分で結んでください」 自分で結ぶよりも不恰好な結び目を咎めれば、まっとうな反論が返ってきた。こんな風に葵が言い返してくるようになっただけでも、着実に仲は深まっているのだと受け取ったほうがいい。 「僕が毎晩葵ちゃんのこと寝かしつけてあげるからさ、葵ちゃんは毎朝僕のこと起こしてよ。で、さっきみたいに着替えさせて。毎日してたらネクタイ結ぶのだって上手になるかもよ」 家庭科室を出て食堂へ向かう道すがら、櫻は葵の指に己のそれを絡めながら理想的な生活の提案をしてみる。誰かに睡眠を邪魔されるのはこの上なく不快だが、隣に眠る葵から揺り起こされるなら嫌な気がしない。 「櫻先輩より早起き出来る自信がないです」 「そこ?確かに、寝坊ばっかしてるもんね」 部屋を移ってからの実績を考えたら、櫻の理想通りには事が運ばないかもしれない。 元々は世話焼きな京介が葵を起こし、身支度を整えてやっていたのだろう。さらに寝坊助な都古のことまで面倒を見ながら。どこからどう見ても不良生徒の彼が毎朝苦労していたことを想像すると、面白くて仕方ない。 「櫻先輩って意外と甘えん坊さんなんですね」 「そういう口の聞き方するんだ?お互い様だって思えば、意地っ張りな葵ちゃんが素直に甘えられるかもって思って言ってあげてるのに」 櫻の言い分を信じてはいないのだろう。葵はこちらを見上げながらくすくす笑ってくる。それにつられるように櫻も笑顔を返した。 途端にこちらに好奇の目を向けていた周囲の生徒たちがどよめく。櫻がこんな笑顔を見せることが相当珍しかったようだ。もしかしたら手を繋いでいることでも驚かせているのかもしれない。 食堂ではすでに食事を始めていたお馴染みのメンバーが二人を迎え入れてくれた。騒がしい食堂に足を運ぶことも、こうして大勢で集まることも嫌いだったはずなのに、葵がそこにいれば悪い気がしなくなるから不思議だ。 今までの自分を否定するわけではない。でも葵と出会い、少しずつ変化していく自分はもっと悪くないと思える。 葵にもそんな風に自分を認められる日が訪れてほしい。この場にいる誰もが葵の存在に救われ、感謝しているのだから。

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