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act.9極彩カメリア<58>
「あ、えっと、そうじゃなくて。あっちのほうが寝心地がいいと思うんですけど、どう、ですか?」
自分のベッドのほうを指し示しながら提案する、奈央はまた悩む顔になった。
葵の周りにいる人は皆、当たり前のように一緒に眠り、おやすみのキスだって惜しみなく送ってくれる。けれど奈央は違う。頭を撫でてはくれるし、手も繋いでくれる。抱き締めてくれたこともあるけれど、それ以上の触れ合いはしたことがない。
葵はまだ“特別な好き”の意味をきちんと理解出来ていないのだとは思う。それでも葵にとって奈央は間違いなく特別な相手だった。
「ごめんなさい、困らせたいわけじゃないんです」
人付き合いが下手だという自認はある。友達が増えたのも親しい先輩や後輩が出来たのも、周りに恵まれただけで葵自身の頑張りで成し得たものでもない。波琉と距離を縮めるのだって失敗したばかりだ。ここで無理を言い続けて、奈央に嫌われてしまうことこそ避けたい。
葵はおやすみの挨拶をだけを残してその場を去ろうとした。だが寝室の扉に手を掛けたところで、背後から包み込むように抱き締められる。
「一緒に寝ようか」
いつもと変わらない穏やかな声音。頷けば、頭を優しく撫でられた。そのまま手を繋いでベッドに向かう。ベッドの右と左、どちらで眠るかなんて話し合いをするうちに芽生えていた寂しさはゆっくりと溶けていく。
「シーツも枕カバーも綺麗なのに変えたので安心してください」
「気にしなくていいのに。でもそっか、初めからここで寝かせてくれるつもりだったんだね」
奈央はそう言って繋いだままの手に力を込めてお礼を伝えてくれる。奈央から相談されてこうして夜を共に過ごすことになったのに、まるで葵が望んでいたかのような状態に陥ってしまったのが少し恥ずかしい。
「部屋に泊まるってそういうことだと思ってたので」
言い訳をすると、奈央は葵の肩を覆うように布団を掛けてくれながらここ最近の葵の行動を振り返ってくる。
「この部屋に引っ越した後、ずっと皆の誘いを断ってたよね。だからきっと葵くんなりに思うことがあったんじゃないかなって」
髪と同じ、焦げ茶色の瞳に見つめられて、差し伸べられた手を先に拒んだのは自分のほうだと理解した。
一人部屋になってすぐに先輩たちの腕の中に逃げ込むわけにはいかないと意地を張っていた。皆が当たり前に出来ることをこなせるようになりたいという思いもあったから、誰に声を掛けられても一人で眠ることを選択し続けた。
もちろん彼らと共に寝るのが嫌だったわけではない。むしろその逆で。
「一度甘えてしまったら、離れられなくなっちゃいそうだったんです。でも、そうですよね。すごく失礼なことしてました。断っちゃった分、僕から皆さんのことお誘いします」
「あ、いや、それはちょっと待って」
今までのお詫びを埋め合わせを兼ねて口にした提案は即座に止められた。
「しばらくは僕だけにして。他はダメ」
どこにも行かさないとばかりに強く手を握られ、真っ直ぐに見据えられて告げられた言葉。奈央がこんな風に強い物言いをされることは滅多にない。
確かに数日のあいだ共に過ごして欲しいとは言われたし、その約束を違える気はない。でもここまで強く引き止められるのが不思議でならない。
「いい?」
念押しされて頷きを返すと、奈央はあからさまに安堵する。それもまた葵に戸惑いを与えた。でも奈央が寝かしつけるように空いた手で頭を撫でてくるから、違和感の理由を尋ねることは出来なかった。
葵も負けじと奈央に手を伸ばして眠りに誘うように肩を叩いてみたけれど、意識を手放す際に耳元で聞こえた笑い声が勝負の結果を示していた。
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