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act.9極彩カメリア<61>
若葉の予想通り、未里は怒りを顕にする。だがその矛先は一途な想いを受け入れない奈央ではなく、葵に向くようだ。自分の立場も弁えず、葵に手を下して欲しいと依頼してきた。
“藤沢をヤッて”
若葉に対しても勝気な未里の愚かさは嫌いではない。だからこそ今までそれなりに相手をしてきてやったのだ。ただ今はただ若葉の苛立ちを増長させるだけ。
「お前に言われなくても」
テキストを打つのにも飽き、若葉はそうぼやきながら携帯をポケットに仕舞い直した。
駐車場に戻ると、そこには煙草を咥えながら夜空を見上げる徹の姿があった。こちらの気配に気が付くと、ゆったりとした仕草でまだ十分な長さを保つ煙草を革製の灰皿に捩じ込んだ。
「やはり、もうお眠りに?」
藤沢家の孫と関係を持たなかったと察して、徹はあからさまに安堵しているようだった。その態度がまた若葉の癇に障る。だから若葉はあえて徹を絶望させる言葉を与えてやる。
「どこぞの王子様に寝取られちゃったんだよネ」
「……なるほど」
徹は途端に苦い顔になった。若葉が相当に気分を害したことが容易に想像出来たのだろう。
「何もせずにお戻りになったんですか?」
後部座席の扉を開いて若葉をアテンドする際、着衣の乱れや拳の状態を確認したらしい。自身も運転席へと体を滑り込ませた徹は若葉が苛立ちを発散させずに帰ってきたのだと確信しながら尋ねてくる。
でもその問いに答える義理はない。若葉はそれを無視して、窓の外に視線をやった。駐車場脇の茂みから猫が数匹顔を覗かせてくるけれど、生憎今夜は彼らを喜ばせるようなものを持ち合わせてはいなかった。
今までは猫の面倒を見るついでに葵の様子を気にかけていた。けれど今夜はただ葵に会いにやってきただけ。そのことを今自覚した。収穫もなく帰路につく惨めさに自然と舌打ちを発してしまう。
「若、どうか慎重に」
小うるさい印象は強いが、徹は若葉の一連の言動を面白がってはいる。けれど、今回ばかりはどうしても諌めたいのだろう。いつもの茶化すような表情ではなく、真剣な眼差しをミラー越しに向けてくる。ただ同時に、こんな言葉で若葉の気持ちを落ち着かせることなど出来ないこともよく理解している顔をしていた。
だが若葉が黙って視線を逸らせ続けていると、諦めたようにアクセルを踏み込んだ。
元々景色に感動を覚えるような質ではない。当然、流れゆく夜景を眺めても気分が落ち着く気配は訪れない。
「藤沢にとって大事なモンでもないダロ」
ただの隣人に過ぎない一家に預けておけるほど、葵は取るに足らない存在。それならば若葉が奪ったって構わないではないか。そんな気持ちが溢れて静かな車内に響いた。
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