1605 / 1627
act.9極彩カメリア<62>
* * * * * *
葵と部屋が離れてから寮を抜け出ることが楽になったというのに、“いつでも駆けつけられるように”なんて妙な使命感を働かせてすっかり模範的な生徒と化していた。
でも今夜は幸樹の誘いに二つ返事で首を振っていた。これからしばらく奈央が葵に付き添うのだと、遥から共有を受けていたからだ。カウンセリングで取り乱した葵をフォローしてやるつもりなのだろう。
いつもならその役目は当たり前のように京介が担うはずだった。今だって自分以外に適任はいないと思う気持ちは強い。子供じみた独占欲と、親切な上級生に対して抱くべきでない醜い嫉妬。湧き上がるそれらの感情をやり過ごすにも、幸樹の誘いはこの上なくありがたいものに思えた。
だが幸樹に誘われるがまま乗り込んだタクシーで告げられた行き先で、京介は彼の魂胆を見抜き途端に後悔に駆られる。
「あいつんとこ行くつもりなら降りる」
「まぁそういうなって。ほんまに辞めるにしたってほら、手続きとかあるやろ。あ、運転手さん、行っちゃって」
京介を先に乗せたのだって、簡単に降りられないようにするためだったのだろう。呑気に見えてこの男は小狡いことを平気でしでかす。
バイト先の店長である祐生からはあれから何度か連絡が来ていたが、全て無視していた。店に置いたままの私物だって大したものはないし、正式に雇用契約を結んで始まった関係でもない。あのまま終わりでも良かったけれど、そうもいかないらしい。
京介の態度に戸惑いながらも、幸樹の指示に従って、運転手は目的地へと車を走らせ始めた。途端に流れ始める広告の音声が嫌に耳について、京介の気分をますます滅入らせた。
「あの人なりに反省しとるから」
「“なり”っつーのが信用ならねぇんだよ。どうせ悪かったなんて微塵も思ってねぇだろ」
図星なのだろう。幸樹は京介の指摘に苦笑いを寄越してきた。
今回のことは厄介な客と距離を置くチャンスだと考え、安易に勝負を受けた自分だって悪いことは分かっている。だから葵とのやりとりを見られたことまでは納得していた。京介が許せずにいるのは、待ち合わせ場所に現れてまで葵と接触しようとしたこと。
京介にとって何よりも大事な存在を面白半分で見物され、さらには軽々しく触れられもしたのだ。それに、一ノ瀬の存在まで仄めかすようなことを口にもしてきた。許容できるラインを大きく超える振る舞いだった。
祐生にとって京介がそうしてムキになって嫌がることが楽しいのだと分かっていても、無難にやり過ごせそうもなかった。
「藤沢ちゃんに興味持たせたんは俺にも責任あるから。まぁ謝罪ぐらいは受けてやってよ」
祐生への怒りを再燃させながら窓の外を睨みつけていると、幸樹が宥めるような言葉をかけてきた。
祐生を紹介してくれたのは幸樹だ。そして幸樹にとって祐生は互いに利害関係のあるパートナーの一人なのだと思う。京介が意地を張り続けることでその関係にヒビが入るのは本意ではない。
祐生の店でバイトを続けるかどうかは京介の意思に任せる。そう続けられて、渋々頷きを返したのだった。
ともだちにシェアしよう!