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act.9極彩カメリア<63>

周囲の店に比べて控えめな光量を放つ看板のもと地下への階段を進んだ先の店内には、あまり出勤頻度の高くない京介でも見覚えのある常連が一組いるだけだった。 「いらっしゃ……よぉ、久しぶり」 ドアベルの音で裏から顔を出した祐生は、あらかじめ訪問を聞かされていなかったらしい。少し驚いた顔は見せつつも柔らかく微笑んでカウンターを促すあたり、少年のような好奇心を持ちつつもきちんとした大人なのだと思わせる。少なくとも、未だに往生際悪く不貞腐れた顔しか出来ない自分よりは。 「二人ともバイク?」 「いや、タクシー。でも酒はええわ」 「そう、じゃあ何か適当に作るよ」 幸樹と並んでハイチェアーに腰を下ろすと、祐生は灰皿を差し出しながら目線を向けてくる。こうして客扱いを受けるのはこの店に初めて訪れた時以来だ。 「京介は?」 「……別に飲みにきたわけじゃねぇから」 「うちはワンドリンク制よ?注文してくれないと困っちゃうな」 祐生はわざとらしくメニューの隅に小さく書かれた注意事項を指差してくる。京介だってそんなことはもちろん把握しているが、まさかこの状況で咎められるとは思わなかった。仕方なく“コーラ”と呟けば、満足げに“毎度あり”なんて返される。 ただでさえ暇な店内で、冷蔵庫から取り出した炭酸を注ぐだけの仕事は数秒も掛からずに終わる。すぐにパチパチと小さな飛沫をあげるグラスが目の前に並べられた。幸樹は挿さったストローを外して豪快に煽ってみせるが、京介は手を伸ばす気にさえなれなかった。 「このあいだのこと、悪かった。踏み込んじゃいけないとこに触れたってのは十分理解したから、ダメなおじさんを許してくれませんかね?」 煙草に火をつけながらなんて適当さはこの場の空気を悪くしすぎないものなのだと思う。苦笑いの表情で全面的な降伏を口にした祐生を言葉や態度で詰ると、今度は京介の分が悪くなるに決まっている。そういうところも含めて、ズルい大人だ。 「元々辞めたほうがいいんじゃないかとは思ってたから」 祐生の謝罪を真正面から受け止めるのではなく、ただの意地で退職を願い出たわけでないことを口にする。 中途半端にしかシフトに入れない自分をいつまでも雇うより、時間に融通のきく大学生を雇うほうが店にとってはよほどプラスだろう。現に、京介が入るまではそうして店を回してきたはずだ。祐生が頭を下げてまで京介を引き止めてくる理由はないように思えた。 「もう貯金はいいの?」 「免許とったし、とりあえずは」 割のいいバイトを探していた理由を、京介は免許の取得とバイクの購入費にあてたいと伝えていた。そのどちらも叶えた今、この店にしがみつく必要はないと告げる。 「でも大型も欲しかったんじゃない?」 そういえば18になったら車と共に、もっと大きなバイクに乗れる免許も取りたいと話したことがあった。それを覚えていたらしき祐生に尋ねられ咄嗟に良い言い訳が浮かばなかった。 すぐさま反論できなかった京介の隙を見つけて、祐生はここぞとばかりに継続するメリットを並べてくる。 「今更普通の時給のバイトなんてダルくてやってらんないでしょ。その点、うちはシフトも融通きくし、楽だし、文句なしの良い職場だと思うんだけどなぁ」 「……上司に恵まれてれば、ですけど」 祐生の言うとおり、このうえなく好条件が揃っている。強いてあげるとするなら、酔っ払いの対応が面倒な時があるのと、目の前でニコニコ笑いかけてくる男の存在。それすらも少し前までなら何のデメリットにも感じていなかったのに。

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