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act.9極彩カメリア<64>
「なぁ幸樹。他にいいバイトないの?」
常連から追加の注文を受けて一旦裏に引っ込んだ祐生の背を見送りながら、京介はそれまで黙って成り行きを見守っていた幸樹に逃げ道を求める。
「あるっちゃあるけど、一番まともなのがあの人よ?ちゅーか、他はちょっと紹介できへんかな。バレたら西名さんにブチ切れられそーやし」
祐生の肩を持つための誇張ではなく、本当にその通りなのだろう。困った顔をする幸樹に、他のバイト先を早々に見つけてしまおうなんて作戦が無謀だったことを知る。
「金はいくらあっても困るもんちゃうし、適当に稼がせてもらったら?なんなら、向こうが立場弱いうちに時給上げさせてもええわけやし」
「いや、さすがにそこまですんのは」
乱暴な提案を窘めても、彼は笑顔のまま残り少なくなったグラスを傾ける。
「前にほら、言うてたやん」
「何を?」
「高校卒業したら藤沢ちゃんと二人で暮らしたいーって。引越しにも色々金かかんで?」
「お前、それいつの話だよ。つーか、名前出すなって」
祐生がまだ裏にいるとはいえ、火種になった存在を軽率に口にした幸樹を咎めるために肩をどつくが、“すまん”とは言うもののあまり悪びれる様子はない。
「あの人がどうこうっつーか、今はバイトどころじゃないってのは事実だし」
葵が京介に会いたがってきたのは一昨日の夜の話だ。もしもまたああして葵が救いを求めてきた時、この店に居たら助けてやることは難しくなる。
葵に手出しをしないという意味では現生徒会で奈央以上に信頼できる人物はいないが、パニックに陥った葵を相手に落ち着いて対処できるかは別問題だ。
「昨日帰ってこなかったっちゅーのは聞いたけど、そんなにアカンかったん?昼も月島と楽しそうにしてたし、生徒会でも一年連中とつるんではしゃいでるように見えたけどな?」
幸樹は祐生がドリンクとつまみを乗せたトレイを片手に常連客の元に向かう姿を確認してから、一歩踏み込んだ話を切り出してきた。京介の忠告を守るためか、葵の名前は出さずにいるが、この場であまり触れたくない話題であることには変わりない。
それに、京介自身、宮岡のカウンセリングに立ち会ったわけでもなければ、葵とそのことについて会話をしたわけでもない。全て冬耶や遥から又聞きしただけの情報しか得られていなかった。
葵が弟の死に深い自責の念を抱えていることは知っていたが、それは単に母親から植え付けられたものだと思い込んでいた。だが直接的な原因を作ったのが自分だと認識していたのなら、葵が未だに前を向けずにいることも納得は出来る。
冬耶達に送られて学園に現れた葵は泣き腫らした痕跡を残しながらも、笑顔だった。救いを求めるどころか、“おはよう”なんて元気に挨拶して隣に並んできた葵に何とも言えない気持ちが湧き上がったのを思い出す。
素直に頼ってこいと何度言い聞かせても、いつもああして強がって、無理をして、そして限界に達してもまだ手を伸ばすのを躊躇う。そんな葵の性質は誰よりも理解している自負がある。それこそ、嫌というほどに。
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