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act.9極彩カメリア<68>
身支度を整えて部屋を飛び出すと、京介はもう待ち合わせ場所に居た。でも急いできたことを示すように、制服のシャツのボタンはちっとも留められていなかった。
「顔色は悪くねぇな」
寝癖を整えるような仕草で伸ばされた手は、そのまま頬をなぞり突いてくる。その指先からは微かに煙草の香りがする。寝起きにまず一服するのが日課になっているからきっとその残り香だろう。
今日はあの夜と違って、周囲には食堂や校舎に向かう生徒たちの姿がある。きっと京介は嫌がると思ったけれど、頬に触れてくる指に自らの指を絡めてみせれば一瞬困った顔をされるだけで振り払われはしなかった。
「そうだ、紫陽花見に行く?」
「は?今から?」
「うん、皆が来るまで時間あるから」
元々約束していたこととはいえ、雨の中紫陽花が群生するスポットまで向かうのは面倒なのだろう。京介は渋る様子を見せたものの、行きたいともう一度ねだれば寮のエントランスに置かれた共用の傘を取りに行ってくれた。
「僕が差す」
「やだよ、お前に合わせて身屈めなきゃなんねぇんだから」
「大丈夫、ほら」
京介から傘の持ち手を奪って背伸びをしてみても、すぐに邪魔だと言いたげに奪い返されてしまう。雨の日はいつからかこんな風に戯れ合うのがお決まりになった。
それを見守る兄たちには、二人で別々の傘を差せばいいのになんてよく諌められていたけれど、不思議とそんな選択肢が生まれたことはなかった。
舗装されていない道を中等部の敷地方向に進んだ先にその場所はある。普通の学園生活ではまず寄りつかないはずのエリアだ。実際、初めてここを訪れたのは授業をサボるために二人で人気のない場所を探していた時のことだ。
「まだ咲いてはいないね。あと一週間ぐらいかな?」
「かもな」
雨粒を纏った蕾は膨らんでいるが開く気配はない。開花を促すように指先で触れてみる仕草を京介は無意味だと言いたげに鼻で笑うけれど、葵を突き放す冷たさはない。
「京ちゃんは何色の紫陽花が好き?やっぱり青紫?」
「お前それ毎年聞いてねぇ?」
「だって毎年ちゃんと答えてくれないから」
彼が部屋に飾っているのは青紫色の押し花。だからそれが正解だと思うのに、頑なに認めてはくれない。葵が西名家で暮らし始めた頃にはもう部屋に飾られていたのだから、随分長いこと大事にしているものなのに。
次にここを訪れる頃には咲き始めているだろうか。その時には都古も共に連れてきてあげたい。彼は葵以上に花を眺めるのが好きだから。でも京介も都古も、一緒に行動するのを嫌がるかもしれない。それが葵にとっては気がかりだった。
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