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act.9極彩カメリア<76>

「葵は篠田さんとどういう交流をしていたんですか?」 「そうね、二人の話が聞きたかったのよね。……でも、椿くんはそれを望むかしら」 この施設で長い時間を過ごした椿への想いは相当に強いものなのだろう。表情をもう一段階暗く翳らせた久美子は彼の心を慮る言葉を口にする。 「あぁ、気を悪くしないでね。出来ることは協力したいって思ってるのよ。ただ、椿くんをこれ以上傷つけてしまうのが怖くて」 「傷つける、ですか?」 「……ずっと椿くんの言葉を信じてあげなかったの。初めて葵くんがここに来た時から自分がお兄ちゃんなんだって言い続けていたのに」 久美子は己の言動を悔やむように皺の浮かんだ目元に涙を滲ませる。 椿はこの施設にやってきた当初から、資産家の息子であると主張していたらしい。貧しい母子家庭育ちだと知っていた職員達は皆、それを母を亡くして傷ついた心を自衛するための嘘だと解釈していた。そして後からやってきた葵を実の弟だと言い始めた時も、同様に軽くいなしてしまったのだという。 「どうして真剣に向き合ってあげなかったのか、あれからずっと後悔してるのよ。椿くんを追い詰めたのは私だわ」 そう言って久美子はエプロンからハンカチを取り出すと目元を拭い出した。そして先日椿がここを訪れた際、もう二度と顔を出さないと宣言されたことを教えてくれる。それが久美子の枷になっているらしい。 椿の昔の職場の同僚や、高校の同級生など、接触出来た相手は皆、今の連絡先を知らないと口を揃えた。その中で久美子だけが椿との接点を持ち続けていたのだから、彼にとって特別な相手だったに違いない。それなのに絶縁を決意させたのは、冬耶からの接触の影響によるものだろう。 葵のために起こした行動とはいえ、啜り泣く久美子を前にするとどうにも居た堪れない気持ちにさせられる。 「俺は篠田さんと揉めたいわけではないんです。葵にとって最善の関係を築きたい。それだけです」 葵への愛情表現が誤った方向に進んでいる椿を引き止めたい。そして藤沢家と対峙する際に力にもなってほしい。事情を知らない久美子に対し、そこまでは説明できないけれど冬耶は出来るだけ誠実にこちらの意図を伝えようと試みる。 「今篠田さんは自分の正体を明かさないまま葵に接触しています。葵を怯えさせるようなやり方で。そのせいで葵は篠田さんを“兄”とは認識出来ていません」 「……そうなの?どうして、そんな」 「篠田さんの本心を知るためにも、そして葵の中に当時の記憶がどの程度残っているのか確認するためにも、話していただけませんか?これは久美子さんにしか頼めないことなんです」 動揺を見せた久美子に対し、畳み掛けるよう言葉を続ければ、彼女は一度大きく息をつく。その表情で、こちらに協力する気になってくれたのだと十分に察することが出来た。

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