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act.9極彩カメリア<78>

* * * * * * 待ち合わせ場所に指定されたのは地下鉄の駅直結のタワー。エレベーターで17階に上がり、正面に設置されている受付用のタブレットと向き合う。事前に送られていたQRコードを読み込ませると呼び出し音が鳴り、しばらくそこで待つよう指示が表示される。 それなりに規模の大きなシェアオフィスだからか、受付脇に置かれたハイチェアーに凭れて迎えを待つあいだ、利用者やゲストがひっきりなしに往来していく。 「ハル」 何組か見送ってようやく声が掛かる。手元の携帯から顔を上げると、目の前には自分とそっくりの顔立ちの女性が立っていた。ただでさえ女性の中では長身の部類なのに、高いヒールのパンプスを履いているおかげで、遥と並んでも目線がほとんど変わらない。 「ごめんね、前のミーティングが長引いちゃって」 「いいよ、急いでないし」 初めは近くで食事をする予定だったが、彼女の経営する会社で何らかのトラブルがあったらしい。その対応に追われてほとんど出掛ける暇を作れないという連絡を受けたから、こうしてオフィスまで顔を出すことにしたのだ。 「はい、これ。ランチする時間もないんだろ?」 遥が差し出した包みを受け取った巴は、中身がお気に入りのベーカリーのサンドイッチだと知って途端に口元を綻ばせる。 「あぁもうホントに気の利く子。どこかの誰かさんとは大違い」 周りの目も気にせず大袈裟に抱きついて喜んでくれるのは構わないが、父を下げる発言をされると複雑な想いに駆られる。 別れて随分経つというのに巴は事あるごとに譲二の文句を口にする。幼い頃は分からなかったが、最近ではそれが巴なりの好意の裏返しだと理解出来てきた。誰とでもすこぶる良好な関係を築けるコミュニケーション能力の持ち主だというのに、譲二相手には憎まれ口しか叩けない。 離婚したのだって、感情に任せて“別れる”と言ったのを譲二が本気で受け止めてしまい、引くに引けなくなってしまったのだと思う。 オフィスに設置されたエスプレッソマシーンで二人分のコーヒーを淹れた巴は、遥を窓際のソファ席へと導く。今日は生憎の天気だが、晴れていれば全面ガラス張りの窓からは素晴らしい景色が臨めるだろう。 「どう?パリは楽しい?」 レッドブラウンのネイルが施された指でサンドイッチを摘みながら、巴は遥の近況を尋ねてきた。メッセージでは時々やりとりしていたけれど、こうして会話するのは二ヶ月ぶりだ。 「まぁそれなりに。日本の便利さは思い知ったけど」 「じゃあ夏には戻ってくるの?」 「うーん、正直まだ悩んでる」 基本的には何事も決断が早いほうだと自負している。両親の離婚の時ですら、父の元に残ると決めるのは早かった。母からの評価もそうなのだろう。珍しく優柔不断な面を見せれば、巴は面白そうに目を薄めてくる。

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