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act.9極彩カメリア<79>
「合格はしたんでしょ?入学金、振り込まないといけないんじゃない?」
「うん、来週までに」
期日は差し迫っている。本来なら一刻も早く手続きを済まさなくてはいけない状況だ。
高等部卒業後の進路を迷っていた遥に、猶予期間を作る選択肢を与えたのは他の誰でもない、巴だ。春からフランスでの生活を始めながら、日本の大学に秋入学する準備もしておく。費用も手間も掛かる無茶な方法ではあるが、保険を掛けながら悩む時間を確保するためには巴の提案に乗るのが最善に思えた。
発案者として、巴は費用面では全力でサポートすると誓ってくれている。その言葉通り、フランスでの生活費や学費はほとんどが巴の援助によるものだ。
それが傍で成長を見守れなかった罪滅ぼし、受け入れるのが親孝行だと言い切られ、ありがたく享受させてもらっている。
「今年の秋入学は蹴って、来年の春に向けて動いても構わないんだし。十代のブランクなんて、大したことないんだから」
「さすがにそこまでは甘えられないよ」
人並み以上に掛かった費用分ぐらいは、いずれ自分で稼げるようになったら返すつもりでいるのだ。むやみに借りを膨らませたくはない。遥の言葉で巴がいくら不満そうな顔をしても、だ。
「前も伝えたけど、こっちの大学に入ってから留学することだって出来るんだし、焦らなくてもいいんだから」
巴は遥の背中を押してはくれるけれど、どちらかといえば日本で暮らすことを選んで欲しそうではある。元々離れて暮らしているとはいえ、母親としては息子が海外に行ってしまうのは寂しいらしい。
「ハルは何に悩んでるの?」
まだ湯気の立ち上るコーヒーに口を付けて窓の外に視線をやっていると、巴が改めて質問を投げかけてくる。
巴には父と同じパティシエの道に進むかを迷っているとは伝えている。譲二の背中を追うことにはやや不服そうな顔はしたものの、遥が時折持参する菓子を喜んでくれていた母は特段反対はしなかった。
でも今の悩みは渡仏する以前とは大きく変化してしまった。離れることが葵の成長に繋がると思っていたものの、結果的に彼が大きく傷ついた時に傍に居てやれなかった。悔やんでも悔やみきれない。二度とあのような思いはしたくない。とはいえ、この流れで遥が日本に留まることを選べば、葵はきっと自分のせいだと気に病むだろう。
「プロポーズするかどうか」
頭の中で適した返答を探って紆余曲折した結果、言葉として出てきたのはこれだった。
巴は一瞬間を置いたあと、くしゃくしゃに顔を歪めながら笑い出した。一度笑い出すと止まらないのは母親譲りだとこんな時実感させられる。周りで真面目に仕事の話をしていたであろう利用者たちがなかなか終わらない笑い声にざわめき出してようやく巴は顔を上げた。
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