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act.9極彩カメリア<89>
「大丈夫、仕事はもう終わってるから。ありがとう」
「じゃあどちらに?」
手を借りる必要はないとはっきり告げたつもりだったが、簡単には引いてくれない。それどころか後をついてきそうな気配さえ感じる。むやみに彼を引き連れて動くよりは、正直に事情を話したほうがいいだろう。
「傘を借りに職員室に行くだけだよ。誰かが間違って持って行っちゃったみたいで」
その可能性を信じているわけではないが、朝から雨が降り続けているにも関わらず困っている状況を説明するには一番無難な言葉を並べる。けれどそのせいで、妙な方向に話を進ませることになってしまった。
「それなら寮までお送りします。僕もちょうど帰るところですし」
未里はそう言って手に持っていた折りたたみ傘を見せてきた。二人で入るには小さいサイズに思えるが、学園では小柄な部類に入る未里となら無理な話でもない。
それに葵を待たせている今、未里の提案はありがたいものでもあった。
未里からの長年のアプローチを知っている友人たちからは相手にするなと再三注意されている。奈央だって未里の勢いが加速しないよう出来るだけ距離を置いてきたつもりだ。でもただ肩を並べて寮に戻るぐらいは同級生として不自然な行為ではないし、何よりここで彼の提案を断るほうが角が立つ。
奈央が素直に礼を口にすると、未里は嬉しそうに目を薄めた。その表情がいつもの笑顔とは違って見えたけれど、うまく言語化出来るようなものではない。ただ何か、嫌な胸騒ぎを呼び起こすようなものだった。
未里よりも背が高く、傘を借りる立場である奈央が差す役目を負うのは自然な流れだった。互いの肩が傘からはみ出ないように寄り添うような体勢になることも。
「奈央様、最近はお忙しいですか?体育祭の準備とか」
「あぁ、うん、そうだね」
中間試験が終わるなり、生徒会の活動が一気に忙しくなった。それまで熱心に励んでいたとは思えない忍と櫻でも、抜けてしまうと個々の負担が増すことも大いに実感している。特に忍の代理を任せられた葵の心労は相当なものだろう。
そこまで考えて、奈央は何気ない会話でもすぐに葵に結びつけてしまう自分に気が付く。頭の中を覗かれるわけもないのに妙に気恥ずかしくなって、奈央は話題を未里へと転換させた。
「福田くんは?何か委員会とか入ってるんだっけ。最近姿を見かけなかったけど」
未里がどこに所属をしているか、なんて本気で興味があるわけではない。ただ寮までの道のりを埋める雑談のつもりだった。でも未里は奈央の言葉にぴたりと足を止めて、こちらを見上げてくる。彼が濡れないよう、奈央の足も止めざるをえない。
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