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4、覚悟

………。 「それどっちも死にますよねっ!?」 書類上で消滅って__。 「馬鹿者。死なずに戸籍登録から消滅出来る方法があるでしょうが。」 「死なずに?」 ……あ。 分かってしまった。 理解したくなかったけど。 奴隷(ラキーク)になる。 それは平民の戸籍から名前を消され、代わりに貴族の所有物目録にある所有奴隷の数を1つ増やす、という事だ。 宰相様が言った通り、戸籍上での『セリク』は消滅するけど僕自身が死ぬ訳ではない。 でも奴隷になるという事は、戸籍から消えるという事は事実上もう人として見なされないという事。 定義上家畜と同列に扱われるという事。 屈辱だ。 ……それでも、生き残る道がそれしかないと言うのなら。 「貴方の奴隷に、なります。」 「フッ、宜しい。ではこの契約書にサインを。」 気のせいか、宰相様の返事と共に周りの冷気が少し緩んだ気がする。 それが自分にとって吉と為すのか凶と為すのかは分からないけれど、宣言してしまったからには書くしかない。 薄桃色の紙と羽ペンを受けとる。 桃色なんて色をしているが、この紙はそんな可愛いらしい代物では無く奴隷契約に特化した魔法紙の1つだ。 一度この紙にサインすれば魔法で自動的に戸籍から僕の名前は消え、代わりに奴隷として所有物目録に加わる。 自然とサインをする手が震える。 ちらりと宰相様の顔を伺うと、無言で僕をじっと見つめていた。 「怖いですか?」 「っはい。」 「何故?」 「何故って…奴隷になったらもう、元の自分には戻れない。」 解放奴隷、というのもあるけれど解放されたところで別の人間として生きるしか無いのだ。 ナヒンダ村のセリクには二度となり得ない。 「だから何だというのです。貴方が目指していた場所はそんな所にあるのですか?違いますよね?」 目指していた場所……。 ハッと目を見開く。 「俺が目指してたのは、国家医術師で、村の人達の役に立てる存在に成ることで、、」 「それに平民のセリク、という名は必要ですか?」 「違う……必要なのは、魔力。それに国家資格。」 「それで?今の貴方がするべき事は?」 それはどんな手を使ってでも生き延びて、魔力を取り戻すチャンスを掴む事だ。 ファサイルの声に導かれるようにして、セリクの手が動きだす。 ……孤児だった僕を拾って育ててくれた礼拝所のアブドゥール叔父さん、母乳を分けてくれたナディア叔母さん、疫病で生死をさ迷った僕を助けてくれた医術師のじっちゃん、読み書きと計算を教えてくれた商家のヨワヒム兄ちゃん、それからそれから………とにかくお世話になった村の皆、ごめんなさい。せっかく入学金恵んでくれたのに退学になって、出世して恩返しするどころか奴隷だなんて、堕ちてしまって、ほんとにほんとにごめんなさい。…でも、僕は此処で終わらないから!絶対魔力取り返して、無実を証明して見せるから!立派な医術師になってみせるから!少し遠回りになるけれど、待っていて下さい。 「……達筆には程遠いですね。」 そんな決意を秘めて書ききった契約書のサインを、宰相様はあっさりと受け取ると宅配魔法で何処かへ運んでいった。 インクがちょっと出過ぎただけだよっ! 「…まあいいでしょう。さて、奴隷のセリク」 「はいっ」 あれ、また口に出してた……? 「最初の命令です。今すぐ浴室へ行ってその悪臭をなんとかしなさい。」 そう言って扉を開けると、突き当たりに見える浴室らしき部屋の扉を指差される。 悪臭?? あれか、隠れるのに使ったカメレオイルの臭い。確かに魔幼虫やら薬草やらが成分だから匂うのかもしれない。 そういえば…「何で僕の事直ぐに分かったんですか?」 「逆にどうしてそれで隠れられると思ったのか理解に苦しみますが。一般魔道具の薬品など子供の玩具程度にしかなりません。完成度は偽視魔法の仕組みを考えれば明らかでしょうに。」 仕組み……。 「偽視魔法は反射する光を自分の視覚情報で識別した色をミクロまで分解して取り込むけど、この塗り薬は……そっか、実際の環境にあらかじめ取り込まれた数種類の色を片寄せるだけだから、ムラが出来るんだ……。」 懐にしまっておいた容器を取り出して組成表示を改めて見てみると、案の定12種類の色素しか無い。 これじゃ臭いで気づかれるどころか目で見ただけで違和感ありありだ。 ガックリと肩を落とすセリクに追い討ちをかけるように溜め息をつかれる。 「はぁっ、だから浅はかなんですよお前は。とにかく早く落として来なさい、浴室の石鹸も使って良いですから。」 「分かりましたありがとうございます!」 シッシッと邪険にされ逃げるように浴室へ向かった。

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