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8、過ち

寝た……か。 握っていた小さな手が完全に力を預けたのを確認して、起こさないようゆっくりと手を離す。 頬杖を突いてその寝顔をまじまじと眺める。 半開きになったままの間抜けあ口、ちょぼんと付いている小さな鼻、くるりと反っている長い睫毛、あまり手入れの為されていないくせっ毛な髪、熱で赤く火照っている頬。 半開きの口が気になって、手をかざすと熱い吐息が手に触れた。 ドキリとして手を引っ込める。 あぁ、熱で息苦しいのか。 発汗作用を促進させる魔法を施したから今は少し寝苦しいだろうが、朝になればこれくらいの熱だ。完全に引くだろう。 少しでも楽になればと、冷た過ぎると言われた己の手を額に乗せてみる。 今日1日でこの子の環境は目まぐるしく変わった。 心も体もそれに追い付かないのだろう。 どんなに決意しても、十代半ばの少年だ。 これから何度も決別した筈の過去を振り返り、その度に心は揺れてしまうだろう。 それは仕方がないし、こちらが出来るだけサポートしてやらないといけない。 こうなるように仕向けたのは、他でもない私自身なのだから。 ★ 一月前、いつものように私室で事務処理をこなしていると、とんでもない知らせが入ってきた。 "16歳の魔法学校の生徒が禁忌の森に侵入した" 何かの冗談かと思ったがそれは紛れもない事実だった。 幸い森から出てきた所を取り押さえることが出来、今は王家の地下牢に居ると言う。 私が直接尋問すると申し出ると、取り押さえた時にはフラフラで今は気を失っていると言われたが、様子だけでも見に行こうと地下牢へと向かった。 16歳、魔法学校の生徒、そして禁忌の森に侵入出来るようなとんでもない技術力と発想力を有する。 その時点で既に予感はしていたが、やはり地下牢にいたのは魔法学校入学者選抜試験の史上最年少合格者にして5年ぶりの平民出身合格者、ナヒンダ村のセリクだった。 私が魔法学を学べるように、と今の皇帝が即位して直ぐに貴族の嫡男のみ入学可能だった魔法学校に、全国民の魔力を有する18歳未満を対象とした、魔法学校入学者一般選抜試験を開設してくれたのは、今から10年も前の事だった。 しかし入学の壁は高く、私以外の平民で合格する者が現れたのは、五年後に一人だけだった。 しかもその望みの一人も途中で退学してしまい、今年も誰も受からなかったらもうこの制度は廃止しよう__そう囁かれていた時に彗星の如く現れたのが、この少年だった。 しかも主席に次ぐ成績での入学、お蔭で入試制度反対派をある程度黙らせる事が出来た。 今の自分があるのはこの試験制度のお蔭だ。 思い入れがあるこの制度をどうにか継続させる事が出来て、この少年への感謝の気持ちは大きかった。成績優秀者への奨学金制度を新たに設けたのも、ひとえにこの少年が卒業まで在籍する事を願っての事だった。 そんな少年に興味が湧かない訳が無い。 私はそれまで仕事を理由に断り続けていた学校の特別講義を引き受け、その実力の程を見に行った。 400人の生徒を収容出来る講義室で、彼は直ぐに見つかった。 少しでも大宰相である私に良い印象を持って貰おうと、事前に用意されたテキストを皆が読んでいる中で、一番前の座席に着き、講義には全く関係のない古魔術の書を読み耽っていたのだから。 ……私の講義は聞く価値も無いと? 面白い。丁度実力の程を知りたかった訳だから、質問を与えよう。 彼は完全に本の世界に浸っていたようで、私が当てても暫くは気づかなかった。 仕方なく壇上から降りて本を取り上げると、漸く我に返ったようで顔は面白いほどに真っ青になった。 この国で実質二番目の権力を持つ私に喧嘩を吹っ掛けたに等しい行為をしてしまったのだ。当たり前といえば当たり前だろう。 しかし彼は私が出した、自分でも少し大人げないと思うような悪質な質問に震えながらも正確に答えた。 その時点で、彼はただ暗記だけに秀でた生徒では無いと分かった。 それから彼が卒業する迄の6回の講義(年に一回しかない)で私は彼を当て続けた。 彼はその都度難易度を引き上げていく私の問答に正解し続けたし、時には魔法理論の個人的見解なども求めたが、私の予想を凌ぐほど矛盾無く、かつ模範解答とは一線を賀する興味深い見解をを披露してくれた。 これは本物の天才だと、三回目の講義で既に気付かされたが、彼の答えが面白く、残りの三回の講義もつい彼ばかり当ててしまっていたのだ。 彼の才能は、平民というハンディを持ってしても御前会議(行政府)レベルの出世は間違い無いだろうと思わせるほどだった。 ただその一方で気になる事があった。 1つは進路志望が国家医術師で有ること。しかも自分の故郷で診療所を開く事が夢であると。 このレベルの天才を辺境医術師で終わらせるのかと思うと残念だと言うのもあるが、もっと気になるのは彼がお世辞にも器用では無いという事だ。 魔法の技術は申し分無い。 ただ、医術師に必要な小手先の動きが絶望的に下手なのだ。 それは単純に腕がというのもあるし、魔法医療についてもだ。 元々持っている魔力量が多い分、節約するという概念が抜け落ちているのだ。 魔法自体が戦闘目的として発展したものであるから、技能試験に置いてその調節は求められないとはいうものの、医療系魔法においてそれは致命的だ。 そしてもう一つ、法学の中でも聖書を照合させながら定義付けをする、法律理論の成績が他の科目に比べ頗る悪い。 それも、学校自体が魔術のほうに重きを置いているため法律理論の成績だけが悪くても全体の成績には殆ど影響しないが、法学が出来なくては法官官僚(ウラマー)にすら成れない。 本人としては医術師になるのだから関係ないと思っているのかもしれないが、国家魔術師の資格を取るにも法学は必須だ。 担任に説得を試みるよう直接依頼したが、どうも返事は芳しく無い。 その上どこまでも純粋、悪く言えば馬鹿で、しょっちゅうクラスメートや街の商人にお金を騙し取られたりしていた。 ……断って置くがこれはストーカー行為などではなく、未来ある少年を見守るという大宰相としての責務だ。 だから今回も十中八九、誰かに嵌められたのだろうと思ったし、実際関係者から話を聞けば、やはり何者かによる策略の可能性が高かった。 禁忌の森への空間移動の魔方陣を構築出来たのに、そこへ着くまで禁忌の森だと気づかないなど、うっかりしているにも程がある。 偽装された問題用紙に書かれた極相、土壌成分、何より規模と方角を照らし合わせれば禁忌の森だと一発で分かりそうなものなのに。 どうして気づけなかったんだ……。 常々思っていた天才少年の軽率さが起こした過ちに、唇を噛みしめた。

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