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15、溜め息

「はあ…。」 自然と深い溜め息が出る。 「サミーウ、バーティン、入って来て良いですよ。」 ラヒームが入って来て直ぐ気配を感じていた、扉の向こうにいる二人の使用人を呼ぶ。 「おーう。ありゃとんだ台風坊主だな。」 そう笑いながら入ってきた男はバーティン。 豪快な物言いに似合わない、扇情的な女顔を持つ情報屋である。元々有名一座の花形だったが、その運動神経と変装技術の高さを買って八年程前に個人の情報係として引き抜いてきたのだ。うちの奴隷の中では一番古株だろう。 ”ラヒーム、急いでたけど、トイレ?” 「違いますよ。サミーウは何の用ですか?」 ”ラヒーム、追いかけてきただけ。” 「ラヒームは暫く放っておきなさい。暇ならメイサが客人用のお菓子作りに人手が欲しいと言っていましたから、厨房に行って手伝って来てくれますか?」 ”わかった!” メイサから貰えるおこぼれが大好きなサミーウは、嬉しそうに頬を緩ませて弛ませて出て行った。 これで暫くはラヒームの事を忘れているだろう。 「……何処から聞いてました?」 「あ?アンタが「許可出来ません」って言ってた辺りからだが。」 ほとんど全部聞かれた訳か。 それなら話が早い。 「なら大体事情は分かったでしょう?ラヒームが変な所に入り込まないよう見張りに行って下さい。」 「はあ?また俺があのクソガキの面倒見んのかよ。」 バーティンがラヒームに会ったのはこれが初めてではない。王都を追放されたラヒームを見張り、宮殿に来るよう画策したのは他でもないこの男なのである。故にラヒームの浅はかさは誰よりも知っている。 「仕方無いでしょう。事情を知っているのはお前とサミーウだけなんですから。」 「それならサミーウに任せりゃ良かったのに。サミーウ本人から説明させりゃこんないざこざさっさと解決出来るんだし。」 まあ、それはそうなんですけどね…。 「散々あの子の愚行を見てきたお前なら分かるでしょう?本当の事を知った暁には何を言い出すか判ったものじゃありません。」 「あー、まあ烈火の如く怒るのは目に見えてるわな。だがサミーウと接触させた時点で遅かれ早かれ気づくには違いないんだから、別に今話しても良いんじゃねぇか?」 「今は駄目です。何しろあの子の中で私はまだ”優しい人”だったようですから。少し調教して言うことを聞けるようにしてからでないと。」 見損なった、という事はそういうことなのだろう。 そう言って本日何度目かの溜め息をつくと、バーティンが何とも言えない微妙な顔をしていた。 「マジか。アンタが優しい人?…何処をどう見間違えればそんな事になるんだ?」 躾だの調教だの言うやつが優しいだなんて理解出来ねえ、と呟くこの男は私に失礼だと解って言ってるのだろうか。 「まあ、そうでも思ってなきゃアンタに怒鳴り込むなんて怖い者知らずな事出来る訳ねぇか。」 「別に私は頭の弱いクソガキに怒鳴り散らされたくらいで怒る程心は狭くありません。…躾はしますけどね、所有者として責任が有りますから。」 「……充分怒ってるじゃねぇか。」 「何か言いました?」 「空耳だよ空耳!」 「そうですか?でしたら報告書出してラヒームの方へ行って下さい。」 「俺の仕事はいつからガキの子守りになったんだ……。」 「何か?」 「何もねぇよ!その代わり俺はある程度はサミーウの事話すぞ?面倒くせぇから。」 「情報屋の仲間、程度までにしておいて下さいね?」 「わーってるよ、んじゃ報告書だけ置いてくからな!」 「ええ、お疲れ様です。」 「アンタもあんまり無理すんなよ。……まだ本調子じゃねぇんだろ?」 それじゃ、と言って出ていった男はやはり優秀だ。誰にも気付かれぬよう気を配っているつもりなのに、この短時間で目敏く気づいてしまう。 私もまだまだだな、と思いながら、報告書に目を通す。内容は、ラヒームを狙ってきた間者達の身元についてだ。残念ながら殆どの間者は身元を吐き出す前に自害していてこれと言った大きな収穫は無い。 「利益にならない事はしない」と言いながら、我ながら割り似合わない仕事を作ってしまったものだと苦笑する。 せめて最大限、利用させて貰うとしよう。 元より正義の見方なんて柄じゃ無い。 それなのに何故昨日は”優しい人”など演じてしまったのだろうか。 久しぶりに出てきた己の弱さが憎らしい。 そんなだからあの少年に付け上がらせてしまうのだ。 見損なわれたのなら調子良いではないか。 今までそうしてきたように、悪役に徹しよう。

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