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新しい日常①
最近なんだか自分の躰がおかしい気がする。
佐久間宗治(さくまそうじ) 48歳
会社員として働く、何の変哲もない一般市民だ。大学を卒業してからずっと仕事命でやってきた。よくあることだ。
もし、他の人から見て驚くことあるとしたら、それは…性交渉経験が一度もないということくらいだろう。
若い頃から潔癖症の気はあった。それに加えて真面目すぎると評されるこの性格が災いした。 学生の頃は勉学に励み、社会人になってからは仕事一筋だった。紹介もあったが、結局仕事人間の自分に愛想を尽かしてお付き合いまでいかなかった。
でもそれも自分の生き方だ、そう思っていた。
しかし3年前くらいからだろうか、徐々に異変が現れたのは。いきなりの動悸、息切れ。病院に行く時間などもちろん無く、すぐに治るので放っておいた。しかし最近躰が熱いこともある。俺の躰はどうしたんだ。
「はぁ…」
「あれ、どうしたんですか、専務」
「いや、なんだかな。自分でもよく分かっとらんが、なんだか熱くてな。風邪かもしれんな」
「ええーっ!やめてくださいよ!専務いなきゃ仕事になんないっスよ!」
「それは谷中さんが専務が恋しくて仕事になんねーだけじゃねぇんですか?」
「こらっ、ばかっ!三嶋のばかっ!違いますよ、専務!」
「分かったから静かにしろ。会社には仕事をしに来ているのだろう、谷中」
しゅんとする谷中(やなか)とスミマセンと口先だけの謝罪を述べる三嶋(みしま)はなにが良いのか、他の社員から怖がられている俺を慕ってくれる部下だった。
「でもここ最近ずっと具合悪そうですし…あ、専務って48歳でしたよね。アレってことはないですか」
「!!ばかっ、やめろ三嶋」
「…アレ、とはなんだ、三嶋。言ってみろ」
「アレ、知らないですか? 40まで童貞だとなるってゆー病気ですよ。まぁさすがに専務が童貞はないか」
「失礼だろ三嶋!すみませんすみません専務、ただの都市伝説みたいなもんですから」
「…くだらん」
童貞、という言葉にどきりとしたが、どうにか咳払いで誤魔化した。
「でもやっぱり病院は行ったほうがいいですよ~!悪化しても大変ですし」
「…しかし、仕事があるからな」
「倒れられたほうが困ります。専務有給溜まってますし、明日行ってきたらどうですか」
「俺たちにできること引き継ぎますから!」
「え、俺もっスか」
部下の後押しに仕方なく頷いた。
◆
検査後、医師が苦い顔をしながら渡したのは地下への招待状、もとい紹介状だった。
ろくな説明をされず、頭にはクエスチョンマークだらけだ。なんだ、なんだ。
とりあえず案内掲示板にすら表記のない地下へのエレベーターに、俺は案内されるがまま乗り込んだ。
「はーい、こんにちは!あなたが佐久間さん?」
エレベーターがついた先は地下3階。
軽快な音とともに扉が開くと、目の前には少し幼さを残す可愛い感じの青年が話しかけてきた。白衣だから看護士なのだろう。
「…ああ、そうだ」
「お待ちしておりました!上のセンセからの紹介状もらってもいいですかぁ?」
こてん、と首をかしげる青年に先ほどもらった紹介状を手渡す。ふんふん言いながら読む青年。可愛らしい仕草はたしかに似合うがこういう浮ついた人間は自分の苦手な部類だ。余計なお世話だろうが。
「なーるほど。レベル3~4かぁ…うーん。うううん。そっかぁ」
ちら、とこちらを見る青年。目があうと、にんまり笑って俺の手をとった。
「よし、じゃあ佐久間さん!いきましょっか!」
「は?どこに行くと、」
「まだろくに上で説明も受けてないデショ? 説明あーんど!治療!行きますよ!」
「なっ、おいっ」
小柄なのに意外と力がある。ぐいぐい引っ張られることに自分の年齢を感じて、場違いにも少しショックを受けた。
「えーとえーと…あ、田村さん退院したんだった。じゃあここ、入ってください」
診察室に案内されるのかと思いきや、そこはネームの入っていない病室だった。
ベッドに座らされ、クリップボードを渡された。
「まず、自己紹介からしましょっか!僕、三木麻琴(みきまこと)っていいます。これから長い付き合いになると思うのでよろしくお願いします!」
「…は?長い付き合い?というかここはなんなんだ、それになんだ、いきなり個室に押し込むなんてどういう、」
「はーいはいはーい、これから説明します。ねっ?佐久間さん、SKSって言葉聞いたことありますか?」
「…は?えすけー…?いや、どうにも横文字は苦手で、」
「精子欠乏症…略してSKS。佐久間さん、あなたは病気なんです」
「な、なんだそれは?!」
聞きなれない言葉。知らない病名。
三木と名乗った青年は最初に会った頃の幼さを残す笑顔を潜め、詳しくはお渡しした資料をどうぞ、と、真剣な顔で口を開く。
先ほど渡されたクリップボードに目を移せばその内容にゆっくりと顔に熱が集まり始めた。
「SKSは、書いてありますように40歳頃まで童貞でいると発症する病気と言われています。必ず発症するわけではありませんし、発症しても口外しない患者さまがほとんどなのでほぼ知られていません」
「症状としましては動悸、息切れ、発熱から始まり、重度になってくると敏感体質になり、体触れるものに対して快楽を得ようとするようになります。
…身に覚えがあるものもあるのでは?」
愕然とした。今まで仕事に生きてきて、色恋沙汰をおざなりにしたばかりに病気だと?
確かに言われた症状の前半はここ最近、自分を悩ませていたものだが。馬鹿らしい。
「…俺を、からかっているのか」
ぼそりと出た言葉に、青年…三木さんは困ったように眉を下げて、残念ながら違いますと笑った。
最初みたいに笑い飛ばして手を握ろうものなら、殴り飛ばせていたのに(気持ちとしてはの話でこんな年寄りに彼を飛ばせるかは不明だ)、毒気を抜かれたようにストンと心に落ちてしまった。
「…治療法は、」
「意外と納得がはやいんですね」
「駄目か?駄々をこねても仕方ないだろう」
「んー、僕たちは助かりますけど!心はそんなにすぐには追いついてくれませんからね」
「……」
「じゃ、説明しちゃいますね」
軽度であれば薬だけ
重度になると直接精子を体内に入れないといけない
慢性的なものなので治療をつづけなければならない
徐々に治っていくが、病気を放置して重篤な方は治りが遅いことも多い
そんな説明を事務的に、まるで他人事のように聞いていた。
「…それで、私に今必要な治療とはなんだ」
「あは、佐久間さん本当に飲み込みはやくて助かりますね~。佐久間さんはレベル3なんです」
もはや治療法を聞いた時点で嫌な予感はしていたが、背筋に冷や汗が伝うとともに三木という青年の口元がにんまりと弧を描いた。
「とりあえず、座薬、しちゃいます?」
◆
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