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Wenn ich ein Vöglein wär
──聖歌隊にいた頃。
狭くて暗い宿舎の部屋で、眠れぬ幼い子供たちは、昼の厳しい練習と夜の言い知れぬ寂しさに、家族を恋しがってよくすすり泣く。
そんな時僕は、みんなを起こさないようにその子を中庭へと連れて行って、歌を歌った。聖歌でも賛美歌でも何でもない、ただの俗な民謡。崩れて草むした石柱に腰掛けて、その子を膝に抱いて、呟くように夜に歌う。
「もしも僕が小鳥なら
そして翼があったなら
君の所へ飛んでいけるのに」
司祭様に呼ばれるようになってからも、だいぶ頻度は減ったが、僕の寝台へ来ておずおずと肩を突付く子たちを連れては庭に出た。
あんな大人の汚れた世界は、誰も知らずにいると良い。自ら逃げておきながら、都合のいいことを思う。
司祭様に抱かれた後、いつものように息を潜めて寝所に帰る。中庭に誰かの気配がして、回廊の柱に身を隠した。
「もしも僕が小鳥なら──」
細く、震えた歌声。
僕の次に年長のテオが、そこにいた。
「だけどそれは叶わない
叶わないから僕は
いつまでもここに独り」
いつも僕たちが口ずさむあの歌。
彼は高潔で気が強く、警戒心に満ちた子だった。
カストラートとしての自負を抱き、やや高慢な態度をとるためか、いつも先生には叱られ、下級の子達には恐れられていた。
テオが僕たちと共に、この庭へ来たことは一度もない。どうにもならない寂しさを分かち合って埋めることなど、彼はしたがらなかった。
「夜は時を忘れたように永く
僕の心は目を覚まさない」
でも、星の美しい、寒い夜。
誰もいない庭で、テオは泣いていた。
倒れた石柱に背を預け、草に足を投げ出して、虫の声にも負けそうな小さな声で歌いながら、震える華奢な肩。
いつもの恐れ知らずな凛とした姿はそこになく、はらはらと涙を落とし、空を見上げて歌う横顔は、途方に暮れた年相応の子供だった。
小鳥の鳴き声を模したコーラスも、泣いているからか息苦しそうな、籠の鳥を彷彿とさせる。
「そして思い出してる
君が幾千もの──
幾千もの心をくれた事」
誰にも見せられぬ悲哀の冷たい塊を、残らず吐き出していくような、痛切な歌。
テオを孤独にしていたのは、紛れもない僕だったのかも知れない。一人寝台で毛布にくるまり、壁の方を向いて、小さく丸まって寝ていた彼の背中。僕たちの歌は、テオに聴こえていた。
心が、引き千切れそうだった。
回廊の冷たい柱に身を預けて、気がつけば僕も、涙を流していた。
何処へも行けなかった僕たちは、狭い籠の中で居場所を探して、彷徨い、慰め合い、隠れて泣いては、届かないと知りながら、光の方へ手を伸ばした。
誰に手を取られることもなく、遠巻きに眺められ、叶わない幸せを夢見ながら──
◆
小鳥が低く、飛んでいく。
気がつけばもう、夏の手前だ。
ヨハネスの仕事を手伝わせてもらいながら、畑に出たり、薪を拾ったり、洗濯をしたり。
森の中も少しなら迷わず一人で歩けるようになった。朝、ヨハネスに散歩と告げ、足の向くまま森を歩く。一生のうちで一番、ゆっくりと時が流れていた。
ヨハネスは、家の近くにある幾本かの木を庭木として扱い、枝葉を剪定したり、病害虫から守るよう薬を撒いたり、せっせと世話を焼いている。
その木の上に巣があるのだろうか、名前も知らない鳥が、ここ数日、頻繁に訪れては甲高く鳴いている。
栗色の羽に、胸は鮮やかなオレンジ色。
ふと、テオの面影が脳裏をよぎった。
気高く美しい少年。豊かな栗色の巻毛に、琥珀色の瞳。
《…もしも 、ぼくが、 ことりなら 》
唇に乗せて、呟いてみる。
歌を失い、籠の中から飛び立って、今は広い森の中。
「いつか、お前の声が聴きたい」
柔らかく笑うヨハネスは、急かすことも追い立てることもなく、僕にそう言った。純粋な興味が、優しく瞳に映って、僕を包んでいた。
ヨハネスに、何か返せるものがあるなら。そう思うのだが、生来僕には歌しかなかった。それさえ失って会話もままならない僕を、どうして彼は傍に置いてくれるのだろう。
話したい。もっと、色々なことを。
知りたい。もっと、ヨハネスのことを。
「……もしも、僕が、小鳥なら」
小さく、弱く、音が落ちた。
「──!」
あ、あ、と喉を鳴らして、鳥の真似をして。
「そして、翼が……あったなら、」
歌って。
掠れて、細くて、頼りないけれど。
──声が、出てる。
口角が上がるのがわかる。
「君の所に、飛んでいけるのに……」
思わず駆け出した。
名前を呼びたい。聞かせたい。
話したい、歌いたい。
ヨハネスと、もっと。
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