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Verborgene Wahrheit
「あなたも、ベネッケンドルフ家のご長男なのですから、相応にお考え下さらなければなりません。山奥での生活も素晴らしいものでしょうけれど、本邸近くにも別邸があります。そちらへ移られては?」
挨拶もそこそこに、始まったのはエミーリアのお小言だった。こうなることは分かっていたが、やはり辟易 して肩を竦める。
「お気遣い感謝するよ。だけど、俺はここが気に入っているんだ。父さんたちが、夏の避暑地にまた使いたいというなら考えてもいい」
エミーリアは、俺の乳母だった。
今は、姉さんの侍女としてあの家に残っている。
今も昔もニコリともしない堅物だったけれど、真面目で何事にも厳しい。そして、他の侍女とは違い、一度も俺を蔑むような態度を取ったことはなかった。
来客用のお茶を入れようと席を立つと、手を挙げて制される。手土産の籠を開けて、エミーリアは焼き菓子を取り出した。小さい頃から馴染みの味の、姉さんのケーキやクッキー。
やはり、どうやらこの乳母の方が一枚上手なのだ。
あの家に流れていたような硬い雰囲気の中、少し気詰まりなティータイムが始まった──。
「──ヨハネス様も、もう二十二歳になられるのですから、」
本題、と言わんばかりに始まったエミーリアの一言に、俺はうんざりした表情を隠しもせず首を横に振った。
「何度も言いますが、あなたもご長男なのですから、そろそろ身を固められてはと、」
「何故俺が。嫡子は姉さんだろう? とても良い婿様も来てくれて、一体何が不足だって言うんだ」
エミーリアの話を遮るような俺の物言いに、彼女は眉を釣り上げたが、話をそらす事はなかった。
「リタ様ご夫婦には、何も不足はございません。私はヨハネス様の話をしているのです。それで、ご結婚のことは──」
「ああ、考えてる。だからもう放っておいてくれ。逐一報告したりするような年でもないだろう」
あまりに踏み込まれたくない話に、思わず駄々をこねるような言い方になる。
聞き分けのない子供に辟易するように、エミーリアが小さくため息をついて、俺に向き直った。
「いい加減、真面目にお考え下さいませ。私は心配なのです」
「そんなにして欲しいなら、どこかの貴族の女の若いツバメにでもなってやるさ」
「ヨハネス様!」
投げやりな俺の言葉に、エミーリアはテーブルを叩いて立ち上がった。珍しい彼女の激昂に、俺も口を噤 む。
「申し訳ありません──少し、頭を冷やして来ます」
彼女のこういうところが、優しくて嫌いだった。エミーリアはすぐに席を立って、キッチンへと消えていく。
今日何度目になるかわからないため息をついて、頭を抱えた。
結婚願望というものは、正直かけらも抱いたことがない。異性と付き合ったことはある。学生時代に何人か、恋人はいた。
でも、その中の誰かと、一生添い遂げたいと思えたことがあったか? 答えはノーだ。
何を決め手に結婚相手を選ぶ? 星のお告げか、はたまた愛情? そんなもの、何十年も続くかなんて、誰がわかるのだろう。現に、俺は。
そこまで考えて、浮かんだのはイヴァンの顔だった。無邪気に駆けて、全身で信頼を寄せて、抱き寄せれば身を委ねて、柔らかく微笑んで。
《おいで、ヨハネス》
いつか声が聴けたらと、願ったのは嘘じゃない。
ずっと一緒にいられたらと、思ったのは嘘じゃない。
「──恋人がいらっしゃるなら、最初にそう仰ってくださいませんか?」
どこか呆れたような顔のエミーリアが、新しく紅茶を入れて戻って来たのは、それからしばらくしてのことだった。
「……恋人?」
「素直に仰っていただければ、旦那様もご納得されますのに。」
杞憂だったと言わんばかりの、困ったような、すっきりしたような、彼女にしては珍しい表情。
ますます混乱を極めたのは、俺の方だ。
「何のことだ?」
「裏庭にいらっしゃる生成りの洋服を召した彼女──ブロンドの、歌がお上手な方。ヨハネス様の恋人ではなくて?」
「は──」
生成りの服の、ブロンド。
確かに今日のイヴァンは、そんな色の服を着ていた。線の細い体や整った顔、長めの髪も相まって、遠目に見れば女性にも見えるかも知れない。だが。
──歌を?
「とにかく、近日中に一度旦那様に──」
くどくどと話すエミーリアにおざなりに返事をして、本邸へと帰りを促した。どこか軽い足取りの彼女を見送る。
玄関の外には、木苺の入った籠と、零れた実がいくつか。胸の奥がざわつくのを振り払うように、日が傾きかけた家の裏へと足を向けた。
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