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Jeder ist seines Glückes Schmied
イヴァンは、井戸の陰に座り込んでいた。
体を縮こませて、頭を膝に埋めるようにして、小さくなっている。投げ出された手の中に、赤い木苺を二粒、包むように力なく乗せていた。
細い歌声が、震えて、小さく聴こえる。
美しい、少年のソプラノが、耳をくすぐる。
「もしも……僕が、小鳥だったなら……」
声よりも吐息が多い、揺れて掠れた音。
泣いているのかと思った。
「そして翼が、あったなら……」
遠く離れた恋人を想う歌。
「君の所へ……飛んでいける、のに……」
ここを出て行きたいと、そう言われた気分だった。イヴァンは、誰を想って歌うのだろう。
チリッとした痛みが、胸を刺した。火花が走るような、鋭い感覚。火がついたように、醜い思いが黒く燃え立つのが分かった。
ああ、この感情の名前を、俺は知っている。
◆
「──ここから、飛び立ちたいか?」
静かに、声が届く。
息を詰めて、顔を上げる。
腕を組んで、家の壁にもたれて、ヨハネスが、立っていた。
「俺は、お前を閉じ込める籠だったのか?」
苛立ち、怒り、悲しみ、様々な色が、複雑に瞳の中で燃えていた。その壮絶さに気圧されて、たちまち僕の声は、つっかえたように喉に貼り付いて出てこなくなった。
《ちがう、ちがう……!》
はくはくと、口唇で紡ぐ言葉を、ヨハネスは聞かなかった。炎を灯した瞳は、ずっと伏せられたまま、こちらを見る事はない。
会話の術 を拒絶され、断たれて。
それは、息が止まるほどの絶望だった。
庭を立ち去る背中を追って立ち上がるけれど、挫いた足に力が入らず、縺 れて草に倒れる。
ヨハネスが振り向くことは、なかった。
「……っ、……!」
動かない足を二度、拳で叩く。
痛かった。足よりも何よりも、胸が。
ぼたぼたと、やけに大きな音を立てて、涙が落ちた。大きく、息を吸い込んでも、吐く息に声は伴わない。喉に、爪を立てる。
伝わらない言葉に、出ない声に、苛立って、悔しくて、もどかしいと思った。声が出なくなって、そんなことを思うのは初めてだった。
僕の言葉は、今まで、ヨハネスの瞳があって初めて、受け入れられていたと気付く。
どんな言葉でも、両手を広げて全て受け止めてくれるから、目を合わせて待っていてくれるから、初めて届くものだった。僕は今まで、自分の言葉を伝える術 を、全部ヨハネスに委ねて甘えていたんだ。
「いつか、お前の声が聴きたい」
微笑んだ彼に、聴かせられなかった言葉。
今度は僕が、届けなければ。
涙を拭って、顔を上げて、這い蹲 るようにして、息を吸い込んだ。
◆
「ここから、飛び立ちたいか?」
思った以上に、冷たい声が出た。
泣きそうなグレーの瞳を上げて、口を開くイヴァン。
自分で訊いておきながら、その答えを知りたくなくて、俺はイヴァンから目を逸らし背を向けた。
息を呑む音がする。
吸って、吐いて、何かを言おうとしている音がする。
追い縋 る音がする。
声にならない声が、叫びのような吐息が、背中にぶつかって、落ちる。
聴こえていた。聴こえない振りをした。
イヴァンを待つ誰かがいることを、イヴァンが求める誰かがいることを、受け止められない自分の心の狭さ。
ただ、気に入らないと怒りを投げつけて、自分はその場で動かずに地団駄を踏んでいる。
この気持ちは、昔から進歩のない、嫉妬心。
姉たちが持っていた、純粋に親の愛を信じられる環境が羨ましくて。遠くから眺めては、近づくこともせず、指差してずるいと泣いた。
いつだって、欲しいものに手を伸ばすことを、恐れているのは俺だ。それでいつも、手に入れられないのは──手に入れることを諦めているのは、俺だ。
欲しいもの──
ああ、そうだったのか。
俺は、イヴァンが、欲しい。そうだ。
そして、また、失うのか……?
「────」
聴こえたそれに、立ち止まる。
「……ヨ……ハ、ネ……ス、」
今度は、よりはっきりと。
ゆっくりと、声の方へ振り向く。
真っ直ぐに、俺を呼ぶ声。
目が合えば笑むように、唇が動いて。
イヴァンの涙を見たのは、最初に会った日以来だった。
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