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キスする理由(奈央×葵)

「葵くん、そこのホチキスの芯取ってもらえる?」 「あ、はい。どうぞ」 誰かさんと誰かさんと誰かさんが全くこの仕事を手伝わないせいで、資料をまとめる作業を今葵くんと二人でやっている。 あまりにも量が膨大なせいで、すぐにホチキスの芯が無くなって頻繁に補充しなくてはいけない状態。人生でこんなにホチキスを使う人なんていないんじゃないか、なんておかしなことを考えてしまうってことは気が滅入っている証拠だと思う。 葵くんから渡されたホチキスの芯を空っぽになった本体に滑り込ませてセットする。もうこの作業も何度目やったか分からない。 「いっ」 けれどその慢心が注意力を削いでしまったらしい。本体を閉じてセット完了する際、押しすぎたのか誤って自分の指にホチキスをとめてしまった。 と言っても表皮をほんの少しかすった程度。ちょっと血が滲んだけれど、大したことはない。気にせず作業を続けようとしたら、隣に居た葵くんが真っ青な顔をして僕の手を取ってきた。 「大丈夫ですか?痛く、ないですか?」 僕よりもずっと痛そうな顔をして、心配してくれている。真剣な葵くんには悪いけれど、少し嬉しくて、すごく可愛いと感じてしまった。 「大丈夫、痛くないよ」 「でも、でも」 葵くんは僕の言うことを信じてくれてないみたいだ。赤い玉状になった血を見つめて、そして何を思ったのかそれを自分の口へと導いていった。 「え、葵くん?」 僕が声をかけたときにはもう遅かった。葵くんのピンク色した唇の中に指先が吸い込まれていった。 ちくっとする感覚が指から伝わってくる。葵くんが傷口を舐めている、というのが間接的に分かってものすごくいたたまれない気になった。けれど無下に振り払うわけにもいかない。 おそらく消毒のつもりだと思うその行為がもたらすかすかな痛みと、気恥ずかしさを耐えているとやっと葵くんが指を解放してくれた。 もしこんなところを誰かに見られたら、と不安だったからホッとした。 「奈央さん、涙」 葵くんが次に手を伸ばしてきたのは僕の目元だった。自分では気付かなかったけれど、最初ホチキスで刺してしまったときの痛みで少し涙が滲んでしまっていたらしかった。 「痛くない、おまじない」 僕が相当痛がってると勘違いしてくれた葵くんは、きっと葵くんがされて育ってきたんだなと思ってしまうおまじないをしてくれた。 確かに痛みは飛んだ。どこかへ。瞬時に。 葵くんの唇が触れる感覚。…………だ、ダメだ、頭が一気に白くかすんでいく。 「奈央さんっ?え、奈央さん、大丈夫ですか?うあああどうしよう!奈央さんがぁぁ」 僕は情けないことに葵くんの叫びを聞きながら崩れ落ちていった。 僕が君にキスする理由。 ……してません。され、ました。

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