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バレンタイン記念(冬耶・遥)3
「葵ちゃんに店の余り物だって言って渡したのは俺だし?」
「え、そうなの?そっか、あーちゃんが選んだわけでもないのか」
遥から更なる事実を告げられて、落胆する。バイトで残った在庫にしては冬耶の好みがよく反映されたラインナップだったのだ。だから葵が選んでくれたのだと勘違いしていたのだが、遥がセレクトしたのならば納得だ。
「それ、“お兄ちゃん”以上の感情が出ちゃってない?」
「……そうかも。まずいよな、最近緩んでる気がする」
カウンターテーブルに突っ伏せば、遥はそんな冬耶を見てまた笑い出したようだった。キッチンの片付けを終え、隣に並ぶように座ったことを気配で感じる。
「毎朝あの子がおはようって笑ってくれて、ちっちゃい体抱きしめて眠って。そういうのが日常じゃなくなるのが、つらい。留年したい」
「また馬鹿なこと言って」
遥にだけは何度も漏らした弱音。卒業を寂しがる葵本人には、兄らしく宥める側にまわっているけれど、冬耶だって寂しくて仕方ない。だからこうして冷たくあしらわれようと、泣き言が口をついて出てきてしまう。
「葵ちゃんに見せてやりたいよ、この情けない姿」
「……ちょ、今撮った?」
完全に気を抜いていたところでシャッター音が鳴り響き、冬耶は慌てて身を起こした。案の定遥はこちらに携帯を向けて、楽しげに笑っていた。ただ伏せている姿ではあるが、葵に見られたくはない。
「大丈夫。これ、フランスで俺が楽しむ用だから」
「こっちこそあーちゃんに聞かせてやりたいよ。遥の底意地の悪さ」
「葵ちゃん相手ならなんとでも言いくるめる自信はある」
頬杖をついて余裕の笑みを浮かべる彼には敵わない。どこでどう教育を間違ったのか、葵は遥の言うことなら何も疑わずに受け入れる傾向にある。きっとこの小競り合いに巻き込んでも、冬耶が不利な状況におかれるに違いない。
「いつまで強いお兄ちゃんやるつもり?」
「いつまでって」
遥は不意に笑顔を引っ込め、真面目な顔で問い掛けてきた。彼はこうして度々冬耶の心の奥底に秘める想いを揺さぶろうとしてくる。
「何にも伝えずに卒業しちゃっていいのか?他にとられたら絶対後悔すると思うけど」
「しないよ。あーちゃんが選んだ相手なら誰でもいい」
「……俺でも?」
卒業が近づくにつれ、遥は随分ストレートに冬耶を煽ってくるようにもなった。
葵を可愛がるわりに保護者としての立ち位置を超えないでいる遥。冬耶に足並みを揃えようとしてくれていると気が付いたのはいつだったか。
「いいよ、遥なら大歓迎」
「そんな顔して言われてもな。ほんと、馬鹿なお兄ちゃんだよ」
一体自分はどんな顔をしていたのだろう。普段は意識せずとも装える兄の顔が、遥の前では崩れてしまいがちだ。
「そうだ。あのカヌレ、仕上げに生クリーム乗せようと思うんだけど」
「へぇ、美味しそうだな」
唐突に話題を変えるのも、彼にはよくあること。素直に乗ってみせれば、遥はまたあの腹黒さの滲む笑みを浮かべてきた。
「口移しで食べさせてもいい?」
「え?は?なに言ってんの?話の繋がりが全く分かんないんだけど」
これこそ葵に聞かせてやりたい。とんでもない男に懐いているのだと分かって欲しい。
「大歓迎なんだろ?」
「違う、無理。絶対ダメ。早く日本から出て行け」
中性的な容姿のおかげで騙されそうになるが、こうして脳内のピンク色の部分も堂々と出すようになってきた。彼の留学を寂しいとは思っていたけれど、このまま葵の傍に居させたら食べられるのも時間の問題だったかもしれない。
手で追い払うような仕草をしても、遥は全く気にも留めずに笑う始末。
「え、ほんとにすんの?ダメだよ?」
「食べさせるだけだから。バレンタインだし、な」
冗談だろうと念押しで確認しても、彼は一切否定しないどころか、兄の許しを一方的に得ようとしてくる。
卒業前のイベントを全力で楽しもうとする友人の姿に、冬耶はもう一度テーブルに顔を伏せ、目眩のしそうな現実から目を背けるのだった。
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