61 / 87
卒業式(遥×葵)
世の中には、どこに居ても何をしていても周囲の目を引き、中心に収まる人間がいる。彼が笑うと、皆がつられるように笑う。ステージの上で卒業生代表としてスピーチを行う男、西名冬耶にはそんな生まれ持った才能がある。
制服をきちんと着こなしてはいるけれど、耳や顔にはピアスが煌めいているし、髪型だってこの空間の誰よりも派手な色をしている。それでも彼は誰もがこの学園の代表だと認める存在だった。
「お疲れ様」
割れんばかりの拍手に包まれステージを降りてきた冬耶に、こうして声を掛けることもこれで最後。感傷的なタイプではないけれど、さすがに名残惜しい気持ちになるのは否めない。
「一緒に写真撮るまでは泣くの我慢するって言ってたのに。スピーチすっぽかして抱きしめに行きたくなっちゃったよ」
冬耶は遥にそっと体を寄せ、苦笑いを浮かべながらそんなことを耳打ちしてきた。誰のことを話しているかなんて聞かずとも分かる。ステージの袖で式の手伝いをしている葵のことだろう。
遥の位置からは見えないが、ステージに上がっていた冬耶だからその様子がよく把握できたようだ。
「なっちが一生懸命あやしてたよ」
「……そう。これから俺たちの代わりに頑張ってもらわないとな」
葵にとって自分たちが心の支えになっている自覚はある。二人の卒業をどれほど寂しがっているかも。だからといって、卒業しないという選択肢はない。その代わり、葵を守るための環境を整え、葵を大切に思う存在を集めてきたつもりだ。
式を進行する司会の声に適度に耳を傾けながら、遥は講堂を見渡す。
理事や学長たちと共に在校生の代表として並んでいるのは、新しく生徒会長になった忍。歴代最強と謳われる冬耶から会長の座を引き継ぐ大役を、彼はプレッシャーなど微塵も感じさせずに受け入れてみせた。堂々とした立ち居振る舞いは、名家の長男として育つなかで身につけたものなのかもしれない。
数多の生徒、はたまた教師とも淫らな関係を結んでいるという噂だけが彼の難点だったけれど、彼はある時期を境に素行を改めた。どこか冷めた目で学園行事を眺めているような生徒だった彼が、役員に立候補するまでに変貌するとは。
「葵ちゃんは北条にどんな魔法をかけたんだろうな」
無意識にしがちな尊大な物言いで葵を萎縮させ、そのたびに慌ててフォローする姿はそれまでの忍の印象を大きく変えた。いつだって余裕を見せる忍も、葵相手にはただ恋に苦戦する不器用な男と化すのだ。
「北条にはいつか、あーちゃんに掛かった呪いを解いてほしいけど」
冬耶はどこか遠い目でそう返してきた。
忍の名前は、葵を縛りつける呪いの一つ。周囲がどれほど手を尽くしても十年以上解けなかったものだ。けれど、彼になら解けるのではないかと期待している。
本人の素知らぬところでこんな期待を寄せられていると知ったら、彼は戸惑うだろうか。いや、きっといつも通り自信たっぷりの笑みを浮かべるに違いない。
「あの子があんな風に表に出てくるなんてね」
冬耶の言葉で、式が次のプログラムに移ったことを知る。在校生による合唱。その伴奏のためにグランドピアノへと真っ直ぐに向かうのは、遥が副会長職を引き継いだ後輩、櫻だった。
本来なら合唱のために起立した在校生たちに視線が向くはずだというのに、櫻が会場中の注目を一身に集めていた。
彼が音楽一家の生まれであり、ピアノのコンクールで優秀な成績をおさめていることは周知の事実。当然のように学園行事でピアノの演奏が必要な時には櫻に声が掛かったけれど、彼は一度だって首を縦に振らなかった。
ピアニストではあるが、伴奏者ではない。彼はそんなもっともらしい言い分をかざして、学園行事に協力する姿勢を見せなかった。
だが今こうして櫻は卒業生を見送る合唱曲を奏でようとしている。
“もう聴かせる機会もないので”
今まで行事のたびに声を掛けてきた冬耶に対し、櫻は可愛げなく言い放った。最後ぐらい聴かせてやる。そんな態度は生意気でしかないけれど、彼なりのはなむけなのだと思う。
それに彼の心変わりの理由も、忍と同じく葵であることは明白だった。
「二人は仲良くなれるかな」
「大丈夫じゃないか?葵ちゃんが月島にきちんと懐いてるんだから」
言葉も態度も素直でない櫻と、どこまでも素直すぎる葵。一見噛み合わない二人だが、それなりに関係を育み始めているようだ。
ともだちにシェアしよう!