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卒業式(遥×葵)4

葵には“すぐ”と約束したけれど、際限なく現れる下級生の波から逃れるのには想定以上に時間が掛かってしまった。再会した冬耶は遥よりも多くの生徒に囲まれたのか、揉みくちゃにされた形跡があったけれど、ネクタイだけはきちんと身に付けていた。 「死守したんだ?」 「なんとか。数で勝負してくるからさすがに焦ったよ」 冬耶は普段の親しみやすいキャラクターのおかげで、少し荒っぽい方法を仕掛けられたらしい。それらを振り払うのは彼にとっては難しくないはずだが、自分を慕う生徒たちを相手に乱暴な真似は出来なかったのだろう。 「で、頑張って守ったネクタイは葵ちゃんにあげるの?」 「あーちゃんが欲しいって言ったらな」 きっとそんな日は来ないだろうけど。そう続きそうな口ぶりだった。 遥が葵を奪わずにいる理由は他でもない、冬耶のこの態度のせいだ。葵にとって絶対的な味方として、彼は兄で居続けるつもりでいる。男としての愛情を押し殺し、ひたすら家族愛を注ぐ姿は立派だけれど、もう少し自分の感情に素直になってもいいと遥は思う。 「葵ちゃん、貰っちゃうよ?」 「海外行っちゃうような薄情な男にはあげません」 冬耶は茶化すように笑うけれど、もし遥が葵の恋人として名乗りをあげたとしたら、彼は祝福してくれるだろう。それが分かっているから動けずにいる。建前上は葵の成長を待っていることにしているが、その気になれば幼さなど些細な問題だった。 遥の言いつけ通り、中庭の一際大きな桜の木の下に葵の姿はあった。この場所は葵との思い出の場所でもある。役員になる前の葵は遥たちの生徒会活動が終わるのをここでずっと待っていたのだ。つまらなそうな顔をした京介と、眠そうな都古を従えて。 今目の前にある光景も、そんな思い出と何ら変わりのないものだった。 「写真、撮るんだろ。早く並べよ」 「京介は?一緒に撮ろうよ」 「俺はいい」 遥たちが現れたのを合図に、携帯を手にした京介が近づいてくる。彼はカメラマンに徹するつもりらしい。 「泣いてくれとは言わないけど、少しぐらい寂しがってくれてもいいのに」 葵と同じぐらい、京介とは長い付き合いだ。彼は嫌がるだろうが、遥にとっては弟のような存在でもある。この目つきの悪さやふてぶてしい態度ともしばらくお別れだと思うと、素直に寂しさを感じる。 「誰が。どうせすぐ帰ってくんだろ」 「早く帰ってきてほしいんだ?」 「なんでそうなんだよ。ちげぇよ」 あっという間に遥の身長を追い越した京介の肩を無理やり組んでみると、即座に振り払われる。こんなじゃれあいも日常だった。 遥たちがやってきたというのに、葵は木の下から動こうとしない。その理由は距離を縮めるとすぐにわかる。どうやら葵の膝に頭を乗せた猫がすっかり寝入ってしまっているようだ。 「都古、寝ちゃったんだ」 熟睡するほど待たせたつもりはないけれど、彼は隙を見つけてはこうして眠ってしまう。特に心を許している葵の傍なら、短時間でも深い眠りに落ちてしまうのだから困ったものだ。 「卒業式のあいだは頑張って起きてたんだと思う、多分」 葵は都古の髪を愛しげに撫でながらフォローするような言葉を口にする。周りから面倒を見られてばかりの葵にとって、都古との出会いは良い刺激になったようだった。最近では都古を守るために強くなりたいとも言い始めた。 ただ都古は葵の優しさにしがみつくあまり、周囲との溝を深めているように感じられる。出会った頃はただ人見知りで世間知らずなだけの少年だったはずなのに。 「おーい都古。写真撮るよ」 葵以外の人間に触られたがらない性質はよく理解している。だから遥は葵の手を取り、その指先で白い頬を突かせてみた。それを数度繰り返すと、都古は眠りを邪魔されて不機嫌そうに瞼を開ける。 文句の一つでも言うと思ったが、さすがに飼い主の望みを邪魔するほど我儘にはなりきれないらしい。都古は大きく伸びをしたあと、フレームから外れるために京介のほうへと向かってしまった。

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