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あじさい(京介×葵)
窓辺に座り込み、薄く開いたカーテンの隙間から空を眺め続ける葵。雨粒が窓を叩く音に気が付いてから早一時間。ほとんど体勢を変えることなく、ただ静かに物思いに耽っている。
「葵」
呼びかけてもロクな反応を示さない。京介の声を無視しているわけではなく、彼の意識がどこか遠い場所を彷徨っているせいだ。放っておくと、彼は何時間でもそうして過ごしてしまう。
携帯をいじることにも、雑誌を読むのにも飽きた。そろそろ葵にはこちらに帰ってきてほしい。
京介はベッドサイドのライトを点けてから、部屋全体を照らす灯りを徐々に落としていく。すると、変化に気が付いた葵がようやく空から視線を離した。
「もう寝るの?」
「もうって。今何時だと思ってんだよ」
どれほどの時間が経過しているか、全く自覚がなかったらしい。京介の指摘で時計に目をやった葵は、驚いた顔をして慌ててベッドにやってきた。いつもならとっくに横になっている時間だからだ。
そもそも葵がこの部屋にやってきたのは、京介と一緒に寝るためだった。支度を万全に整えて来たというのに、雨に意識を囚われてしまったせいで今に至る。
こんな調子だから、雨の日はいつも以上に葵から目が離せない。
隣に潜り込んできた葵の体は、長い時間窓ガラスに張り付いていたせいですっかり冷え切ってしまっていた。暑がりな京介にとってひんやりとした感触が心地良くはあるが、風邪を引きやすい葵のことが心配になる。
「あったかい」
擦り寄ってきた葵は、心地よさそうに目を薄めた。羽根布団で肩口まで覆ってやると、瞬きの速度が一段と遅くなる。
「真っ暗にしないでね」
「分かってる」
京介が断りなく部屋の電気を落としたことを、葵は気にしていたらしい。サイドテーブルの明かりだけは消さないでほしいと釘を刺してきた。暗闇を怖がっていることなど、今更言われなくてもよく理解している。
「いなくなっちゃやだよ」
一人で眠りに落ちることを怖がるのもいつものこと。京介のシャツをしっかりと握り締めながら、葵は言葉でも縋ってくる。
「大丈夫だから。おやすみ、葵」
髪を撫でて、強く抱き寄せてやってようやく葵は目を瞑った。完全に眠りに落ちるまで時間が掛かったものの、京介の足に触れていたつま先が温もりを取り戻す頃には静かな寝息が聞こえてくるようになった。
葵との約束を守ってライトを完全に消すことはしないが、スイッチを操作して一段階だけ明るさを落とした。その振動で、ネック部分に引っ掛けたプレートが小さく揺れる。
青みの強い紫色の花びら。紫陽花の押し花を加工して作った栞との付き合いはそれなりに長いものの、本に挟んだことは一度もない。こうしてベッドの脇においたテーブルライトにぶら下がり、常に視界に入る位置で揺れている。
枯れる前に加工を施したのは母だけれど、紫陽花の贈り主は今京介の腕の中で寝息を立てている幼馴染。
“どこで買ったの?”なんて無邪気に尋ねてきたことがあるぐらい、葵の中にこの記憶は残っていない。だから京介もあえて話すことはしてこなかった。必ずしも楽しいだけの思い出ではないからだ。
でも葵と過ごした初めての誕生日の思い出には違いない。窓の外から聞こえる静かな雨音に耳を傾けながら、京介は当時の記憶を辿り始めた。
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