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翌朝(若葉×葵)2
「邪魔したの?」
「したつもりは、ないです」
「構っては欲しかった?」
「それは……でも、電話が終わるまで、ちゃんと待てます」
素直に不服ではあることを伝えれば、若葉はますます楽しげに笑みを深めた。
彼のこうした意地悪はいつものことで、よくそれに立ち会う徹は、葵が電話を止めさせたなんておそらく信じてはいないと思う。そう、思いたい。でないと恥ずかしくてたまらない。
「こいつらに先越されて、悔しそーな顔してたくせに」
若葉はまだ意地悪を続けるつもりらしい。己の膝の上に乗った猫を撫でながら、葵を挑発してくる。
「そんな顔してません」
「そ?んじゃ、ここ盗られたまんまでいーの?葵チャンの特等席でしょ」
そう言われると、葵にとっても可愛いはずの猫が途端にライバルに見えてしまう。今は特に、冬耶から叱られて気分が落ち込んでいる。元凶のはずの存在に、甘えたくて仕方がない。
「ほら、おいで葵」
膝上の猫を抱き上げフローリングに離した若葉が招いてくれるから、葵は正面から抱きつきにいく。
シャワーを浴びたばかりなのか、いつもの香水と煙草の匂いはしない。石鹸の香りだけがする首元に頬を寄せれば、若葉からも葵を抱きすくめ、そして額にキスを落としてくれる。
若葉は動くたびにサラサラと揺れる髪質を鬱陶しいと嫌がっていつも固くセットしているけれど、葵は今の状態が一番好きだ。キスのたびに葵の肌をくすぐる真っ直ぐな髪。これに触れられるのは彼と一夜を共にする葵だけの特権。そんな気がするから尚更かもしれない。
「しっかし、よく寝たネ。なんでそんなに寝てんのに大きくならないの?」
「……若葉さんは何時に起きたんですか?」
「んー?二時間ぐらい前?」
葵を苛めたがる若葉の言動全てにムキになって付き合う必要がないことは、最近ようやく理解してきた。今も、葵が彼の問いかけに取り合わずに質問を投げ返しても、特段気にする素振りはない。
「睡眠時間、足りてますか?」
昨夜、先に寝たのも葵のほうだ。寝た、というより意識を飛ばしたという表現のほうが正しいかもしれない。
「元々そんな寝なくてもヘーキだから。まぁ、葵チャンが来る時はまぁまぁしんどいけど」
「しんどい?」
若葉の表情はいつもの意地の悪い笑みではない。忙しい彼が葵との時間を捻出するのは、それなりに大変だと言うことはわかっているつもりだ。でもストレートにそれを表現されると、胸に不安が広がっていく。
葵から会いたいと我儘を言わないように気をつけているけれど、実際会えた時はかなり甘えてしまっている気はする。それが彼にとって負担なのか。そう思うと悲しい気持ちは否めない。
けれど、若葉からもたらされた答えは葵の予想を大きく外れるものだった。
「中途半端な欲求不満状態だからネ。葵チャン、途中ですやすや寝出すじゃん?」
「……え?途中、ですか?」
「ナニ意外そーな顔してんの。思いっきり途中でしょ。俺があんなんで満足できると思ってんの?」
たしか昨夜は二度、若葉に抱かれたはずだ。葵の体力では、二度目はもうほとんど記憶もあやふやな状態だったけれど、最後までは付き合えたと、そう思っていた。だから褒めるようなキスで安心して瞼を閉じたのだ。まさか足りないなんて思ってもみなかった。
「人と一緒に寝んのまだ慣れねーし」
「一人で寝たいですか?」
「いやそーじゃなくて、潰してないか気になって目ぇ覚める」
身長差は三十センチ以上あるし、ガタイの良い彼と貧弱な葵の体格差も随分なものだ。でもそれを彼なりに気遣っているゆえの寝不足だと言われれば、申し訳ない気持ちと共に温かな感情が湧き上がる。
「だから、寝る時離れちゃうんですか?」
葵から擦り寄っても、目が覚めた時はいつも彼と距離があいている。若葉が先に起きてしまってもなかなか気付けないのはそんな理由からだ。
「あー、そうね。俺が寝返り打ったら、葵チャン潰れて死んじゃうでしょ。だから落ち着かない」
「死にません。大丈夫です」
「ん?抱っこしてほしーの?寝る時」
素直に頷けば、若葉は少し意外そうな顔になった。そして口元を少し緩めて笑った。葵をからかう時に見せるのではない、柔らかな笑顔。
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