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――月日は経ち、叶は退院した。 「……おはよう」 「……っ、お、おはよう」 硫酸で焼けてぐちゃぐちゃになった叶の顔を見て、ゾッとした。 包帯を取った顔を見るのは初めてだった。 叶の顔は、元の面影がないくらいに醜く歪み焼け爛れている。 まるで恐ろしい化け物みたいだ。 人間じゃないみたいだ。 硫酸はここまで威力があるのか……。 あの美しかった叶が、ここまで醜くなってしまうなんて。 「ど、どうしても学校、行くのか?」 「……行くよ」 「やめといたほうが、いいんじゃないのか……」 「行くったら行くんだよ!  俺にかけられた硫酸は、うちの学校の科学室から持ち出された物だって警察が言ってた。  だから絶対、うちの学校の奴が犯人なんだ」 「…………」 俺の犯行は、未だ誰にもバレていない。 いつかバレてしまうんじゃないかという不安を抱えながら過ごして、一ヶ月ほどが経った。 しかし警察に話を聞かれたのは事件直後の一回だけで、それ以降は何もない。 俺はこれっぽっちも疑われていない。 「犯人を見つけてぶっ殺してやる。  同じ目に遭わせてやる。  だから俺は……学校、行かなくちゃ……」 「そ、そっか……」 「ミキ、お手」 叶が手を差し出して来る。 硫酸をかけられた時に咄嗟に手で顔を庇ったからか、手も火傷を負っていた。 指が細長くて綺麗だった手も、もう綺麗ではない。 お世辞にも美しいとは言えない。 「……うん」 俺は返事をして、素直に差し出された手を取った。 そのまま叶と手を繋いで、学校までの道を歩いた。 登校中、何度も人とすれ違った。 叶の容姿は、今までとは違う意味で目を引いていた。 すれ違う人々が揃って皆、叶に好奇の目を向ける。 それが面白くてゾクゾクした、興奮した。 今まで『綺麗だから』という理由で注目を集めていた叶が、今は醜いからという理由で見られるんだ。 いつも自信に充ち溢れていて、俺をブスだと馬鹿にしていたあの叶が、まさかこんな事になるなんて。 正直愉快で仕方ない。 最低な事をしたという自覚や罪悪感、犯行がバレるかもしれないという不安は勿論あるけれど、それ以上に興奮する。 なんとか教室の前までやって来る。 叶は扉の前で立ち止まったまま、教室に入ろうとはしなかった。 「叶……」 教室に入るのが怖いのだろうか。 いつも自分がブスだなんだと馬鹿にして見下していたクラスメイトに、今の自分を見られるのが嫌なのだろうか。 「……やっぱり、帰ろうか?」 「……いや、帰らない」 叶は教室の引き戸を開けた。 「…………」 叶が教室に入った瞬間、騒がしかったクラスが静まりかえる。 そして叶は一気に教室中の視線を集めた。 「うわっ……やば……」 誰かのそんな一言をきっかけに、教室がざわつき始める。 「よく学校来れるね……」 「ねー、ホントヤバイ……」 「絶対もう学校来ないと思ってた」 「カワイソー、私だったら自殺してるね」 クラスメイト達が叶に対して好き勝手に噂し始める。 ヒソヒソと囁かれるその声は、しっかりと俺の耳に届いていた。 叶の耳にも間違いなく届いているだろう。 「通り魔だっけ?怖すぎ」 「なんで来たの?全然治ってないじゃん」 「もうこれ以上治らないんだろ……」 「うわ、悲惨……」 「っつーか普通にグロいって」 「オレ吐きそう」 「あんな事になってよく生きてられるねー」 ――ゾクゾクする。 あの叶がこんな風に注目を集めるなんて信じられない。 最高だ。最高の気分だ。 気持ち良くて勃起しそうだ。 いい気味だ。 今まで散々俺の事を馬鹿にして、いいように扱ってきたバチが当たったんだ。 だから俺は悪くない。 叶が悪いんだ。 叶の自業自得だ。 「オイ、ブス」 教室のドアの所で固まっていた叶に、田村が近づいて来た。 「…………っ」 「お前の事だよ、早乙女」 「田村……」 「通り魔に襲われたとは聞いてたけど、まさかここまで酷いとはな……」 「…………」 「お前、今まで散々俺のこと不細工だって馬鹿にして来たけどさ……  もうそんな事言えないよな?  そのツラで、俺のこと不細工だなんて言えないよなぁ?」 「…………」 「今のお前……化け物みてぇ」 「…………ッ!」 「よくそんな顔面で外に出れるよな!  よく学校来れたよな!あっはははは」 田村が叶を見下し、嘲笑う。 俺と同じように叶に普段から馬鹿にされていた田村にとっても、この状況は愉快なのだろう。 「クソッ……!!」 「あ……」 叶が走って何処かへ行ってしまった。 俺は迷わず叶の後を追いかけた。 「はぁ……はぁ……うっ、ぐすっ……うぅッ、クソッ……!」 「叶、大丈夫か……?」 俺は笑うのを堪えて、精一杯心配しているふりをする。 叶の幼なじみで、唯一の親友である自分を演じる。 「大丈夫に見えるのかよ!?  全然大丈夫じゃないよ!もう嫌だ!死にたいよッ……!!」 叶が泣きながら、叫ぶように言葉を紡ぐ。 「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよッ!  俺が何か悪い事でもしたのかよ!!  なんで俺ばっかりこんな……!こんな目にッ……!!」 「……もう、帰ろうよ。無理する事ないよ」 「嫌だ!!帰らない!!負けたくない!!  それに犯人を見つけなきゃ……!  絶対クラスの奴らだ……あの中に居るんだ……。  あの中の誰かが、俺を妬んでやったに違いないんだ!  絶対そうだ、絶対そうなんだ!  だから俺はっ……帰れないよっ!」 「叶……」 ――その次の日から、叶に対するいじめが始まった。 朝、教室に行ったら、叶の机は暴言の落書き塗れになっていた。 「幹久!」 「な、なに……?」 「机、交換して」 「え、あ、うん……」 「おいおい、そんなの草壁が可哀想だろー」 田村がニヤニヤしながら声を掛けて来た。 「はあ?お前には関係ないだろ」 「関係ないけど、放っておけないだろ?」 「草壁、嫌がってんじゃん。カワイソー」 「お、俺は別に……大丈夫だよ……」 「ふーん?  なんか草壁って早乙女の言いなりで、奴隷みたい。  嫌だったら嫌ってはっきり言わなきゃダメだぞー?」 「あ、う、うん……」 「なんだよ、『うん』って……お前、嫌なのかよ……!?」 「え……そ、そういうわけじゃ……」 「もういい!田村もミキも嫌いだ!大っ嫌いだ!!」 ――………… ――…… 「むかつく!!」 「っ……!?」 家に帰って来て、叶の部屋に連れ込まれたと思ったら頬を打たれた。 部屋に肌を叩く音が響いて、俺の頬にビリビリとした刺激が走る。 「絶対犯人は田村だよ!  アイツが俺の美しさを妬んでやったんだ!!  机の落書きだって絶対アイツがやったに決まってる!!」 「…………」 「お前もムカツク!」 「いっ……!?」 もう一発頬を打たれる。 「なんで俺の事助けてくれないの!?俺を助けてよ!」 「俺だって助けたいよ……。  でも、俺、弱いしバカだし……どうしたらいいのか分かんないよ……」 「…………ッ、役立たず!!」 「…………ごめん」 「もう帰れよ!死ね!」 「…………うん」 どうする事も出来ずに、俺は黙って叶の部屋を後にした。 叶がいじめられて、傷付いて、泣いて、愉快な筈なのに…… ザマァミロって思ってたのに……それなのに…… 胸の奥が、モヤモヤするのは、何故だろう。 罪悪感? 後ろめたさ? 分からない。 この気持ちは、なんなのだろう。 ――それから、一週間が経った。 「うわっ!?」 「おっと、悪い悪い」 田村が叶の足を払い、転ばせる。 叶は盛大にずっこけて、抱えていた教科書やらノートやらが辺りに散乱する。 そして田村はその散乱したノートを、上履きで思い切り踏みつける。 「お前さ、なんで学校来んの?」 「…………」 「通り魔の犯行に使われた硫酸、うちの学校から盗まれたモンなんだって?  もしかして、このクラスに犯人が居るとか思ってるぅ?  だからこんな目に遭っても、醜い姿晒してでも、学校来てるわけ?」 「そうだよ!悪いか!?  犯人を見つけたら絶対殺す!ぶっ殺してやる!!」 「おお、こわっ。お前を怨んでる奴はいっぱい居るだろうから、絞るの大変だろうけど……まあせいぜい頑張れよ」 「…………ッ」 クラスメイト達がクスクスと笑いだす。 叶へのいじめは日に日に酷くなっていった。 ここ最近は毎日田村に絡まれている。 クラスメイト達は遠巻きにクスクスと笑うか、見て見ぬふりをする。 叶を助けようとする者は誰も居なかった。 俺はなんとも言えない気持ちで、そんな様子を眺めていた。 ――放課後、また部屋に連れ込まれて、滅茶苦茶に当たられた。 「…………ッ」 「なんで助けてくれないの!?」 「ごめん……」 「ごめんじゃねぇよ!」 「なんで今日、俺が田村に足かけられた時、助けてくれなかったんだよ!」 「…………」 「何黙ってんだよ……」 「…………」 「お前のそういう所が気に入らないんだよ!  いつも誰かの言いなりでさ、弱虫で泣き虫で一人じゃなんにも出来ないから……だから俺がいつも引っ張って、助けてやってたのに……」 叶のヒステリックな声が部屋に響く。 「それなのにお前は俺の事助けてくれないなんて、酷いよ!」 「…………」 「俺っ、もう死にたいよッ……!!  犯人は……なんでこんな事したの……。  俺に恨みがあるなら、いっそのこと殺してくれれば良かったのに……!  酷いよ、酷いよ……!」 「美しくなかったら、生きてる意味なんかないのにッ……!俺なんか、俺なんかっ……」 「…………」 「顔くらいしか、取り柄がなかったのにさ……」 「………………え?」 「…………」 「…………」 「お、俺は…………  俺は、勉強できないし、運動も別に得意じゃなくて……  性格も超悪いし、特別な特技や才能なんか一個もなくて、何もできなくて……  そんな俺が唯一、人より勝ってる物が顔だったのに……  それなのに……」 「かな、え……」 ――知らなかった。 叶がそんな風に思っていたなんて。 叶はいつも自信満々で、勝気で強気で、怖い物なんか何もないって風で…… そんな叶からこんな弱音が吐かれるなんて、思ってもみなかった。 叶がこんな風に考えているなんて、考えてもみなかった。 「うっ、ぐす……うぅっ」 「…………」 叶の啜り泣く声が聞こえる。 叶が他人の容姿を馬鹿にするのは、もしかしたら自信のなさの表れだったのかもしれない。 叶は本当は自分に自信がなくて、唯一の取り柄である自分の顔に依存していただけなのかもしれない。 そうして他人を馬鹿にする事で、自分には価値があるのだと、自分は凄いのだと自分に言い聞かせて…… それで己を保っていたのかもしれない。 そうする事で、不安定な自分を支えていたのかもしれない。 そう思うと、叶が一気に愛おしく感じた。 強いと思っていた叶は本当は弱く、不安定な存在だったんだ。 叶は俺と同じ、ただの人間だったんだ。 「……叶」 「……っ」 俺は叶に一歩近づいて、叶のぐちゃぐちゃで醜い顔に手を伸ばし、涙で濡れた頬を掴んだ。 「な、に……っ」 「叶、好きだよ」 愛しさが込み上げて来る。 胸の内に温かい物が広がって、優しい気持ちになる。 叶は可哀想だ。 可哀想だから、優しくしてやらなくては…… 俺が守ってやらなくては…… そんな想いが、溢れ出して止まらない。 叶に対してこんな風に、愛情を感じたのは初めてだった。 「離せよ……」 「叶……」 「や、だっ……顔、見るなっ……」 「どうして?」 「どうしてって……恥ずかしいよ……汚いだろっ……グロいし……」 「そんなことない……綺麗だよ」 「え……」 「叶は綺麗だよ」 「…………んぅっ」 叶の唇に、自分の唇を重ねる。 「ん……」 「…………ッ」 以前の叶の唇は、艶々で柔らかかった。 今の叶の唇は火傷の痕でガサガサしている。 叶の顔面が崩壊してから初めてのキスだった。 「んっ、ふっ……っ」 「んっ…………」 叶の火傷痕の残る唇を割って、舌を差し込む。 つるつるした歯を舌でなぞり、口内の粘膜を味わいつくす。 舌を絡めると、叶は控えめながらも俺に合わせて舌を動かしてくれた。 「叶、好きだよ」 「ミキ……」 叶をベッドに押し倒して、視線を絡ませる。 「俺、顔……顔がっ……こんなだよ……」 「だからどうしたの?叶は叶だろ」 「でもさ……」 「叶の価値は顔だけじゃないよ」 「ほんとう?」 「本当だよ」 「…………っ、こんな俺でも、好きだって言ってくれるの……?」 「うん、大好きだよ……愛してる」 「ミキ……俺も…………幹久が……好き、だよ……」 「……うん」 そう言って、再び唇を重ねた。 その日、俺達は始めて対等なセックスをした。 いつもの一方的で滅茶苦茶な行為ではない、まともな……恋人同士がするセックス。 愛のあるセックスは、気持ち良すぎて頭がおかしくなるかと思った。 胸が幸せと悦びで満ち溢れていた。 こんな幸せな気持ちは、産まれて始めてだった。

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